官位・通称:豊後守 俊親の子。土佐久万城主。久万氏は源希義の後裔といわれている。俊宗は本山茂辰に属していたが、長宗我部元親に城を攻められ逃亡。一条兼定の領内である高岡郡浦ノ内に籠居し再起の時を待ったが、兼定の衰退を見て元親の傘下に入った。その後、吉良親貞の家臣となる。四国征伐後は灰方に隠居した。1599年5月28日、死去。