2012年四国史跡巡り(2日目その1:土佐本山城・十二所神社)

 2012年4月29日(日)、高知県立歴史民俗資料館主催の「長宗我部元親と土佐の戦国史跡めぐり」に参加した。今回は長宗我部氏と土佐中部の覇権を競った本山氏の本拠地・長岡郡本山町。
 早めに起きられたからのんびりしていたら出発がギリギリになり、歴史民俗資料館に着いたのが待ち合わせの5分前だった・・・。危なかった。
 ツアーバスに乗ると資料を配られる。一緒にバッチが入っていたので取りあえず付けてみた。

(もとちか君を倒すんだ!)

 館長の説明を聞いているうちに本山町に到着した。最初に目指すのはもちろん本山城。

7.十二所神社・・・高知県長岡郡本山町本山。天照大神ほか12の神を祀る。最初、帰全山にあったが本山氏と長宗我部氏の抗争の兵火で焼けてしまう。その後、再建されて1638年に現在地に移転される。
感想:本山城跡の麓に建つ。館長が建物について、みっちり説明して下さったが、まったく分からなかった・・・。まさに豚に真珠。

(鳥居)

(拝殿)

(本殿)

(ど~ん)

(裏にぽつんと建っていた大山祇神社)

 十二所神社を降ると、西側に少し進んでお墓を通り本山城を目指す。

8.土佐本山城・・・高知県長岡郡本山町本山。築城年代は不明。本山氏はここを本拠とし南に進出し浦戸湾まで手に入れた。しかし長宗我部氏の台頭で次第に衰退。遂には本山城を捨て更に北の瓜生野に籠もったが、やがて長宗我部氏に降伏している。
 森林測候所とその職員の住宅や射的場が作られたため遺構がかなり破壊されている。
感想:相変わらず入り口が分かりづらい・・・。何の知識も無く行ったら十二所神社の辺りを探し回ることになりそう。

(入り口付近から見た本山町内)

(三の段と二の段にある切岸・・・だったと思う。ここで地元の方に生のイタドリをいただいた。かじると水気と甘みがあって旨かった。俺以外で唯一の県外参加者は「苦い!」と言って吐き出していた。それを見た地元の方は「筑後川さんは田舎育ちだから食えるんだろう」と言っていたが、食べた部位が違っただけだと思う。学校帰りにそこら辺に生えていた物を食べていた程の田舎者なのは認めるけどね)

(二の段だったかな? 石垣は後世のもの。この上で再び館長の説明が始まった。今度は本山氏と長宗我部氏の歴史についてだったので、多少理解出来た)

 本山城はこれにて終了。次の目的地に移動する。




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2012年四国史跡巡り(1日目その3:松尾八幡宮・波川一族の墓)

4.松尾八幡宮・・・高知県土佐市高岡町乙。平城天皇の第三皇子・高岳親王の創建。高岳親王は薬子の変で皇太子の座を廃された後、出家し真如と名乗って空海に師事した。晩年、中国を経由してインドに向かう途中で消息を絶っている。
感想:長宗我部元親のために津野家を追われた津野正忠を助けたのはここの神官だと思われる。実際はそういう理由で寄った訳ではなく、次の目的地に向かう途中に対向車が来たため避けるため駐車場に入ったのがたまたまこの神社だったから。

(鳥居)


5.波川本願寺・・・高知県吾川郡いの町波川1092。波川玄蕃城の麓に建つ。長宗我部元親に滅ぼされた波川一族の墓がある。
感想:静寂が支配していた。寂しいというより落ち着くという雰囲気だった。

(本堂。現在は無住らしい)

(波川一族の墓)

(一族の墓の場所に建つ社。聞いた話だとこの左側が玄蕃の墓らしいが・・・資料の表現が曖昧で良く分からなかった)

6.蘇我神社・・・高知県吾川郡いの町波川2062。波川氏の祖・蘇我石川宿禰を祀る。波川氏が崇敬していたと思われる。

(鳥居)


 これにて本日は終了。帰りにサニーマートに寄って晩飯を買いホテルに向かった。カツオが旨い! スーパーは大当たりはないけど外れがないから好きなんだよね。
 食事が終わった頃に同じく県外から高知に来ている人から電話があって飲みに誘われたので、すでにできあがっていたのに飲みに出た。久々に色々と話してホテルに戻った。
本日の感想:寝坊して渋滞に捕まって、更に飲みすぎでヘロヘロになった。たまにはこんな日があってもいいよね。

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2012年四国史跡巡り(1日目その2:清滝寺・津野正忠の墓)

3.清滝寺・・・高知県土佐市高岡町丁568-1。第35番札所。本尊は薬師如来。723年、行基が開山。空海が修行に訪れた際、金剛杖で突くと清水が湧き出て池が出来たため、それにちなんで清滝寺と改名された。ここで湧く清水が土佐和紙を漉くのに利用されたという。
感想:道が狭く離合出来ないところがあったので注意していても何度か対向車と正面衝突しかけた。危なかった・・・。 ちなみに境内まで車で行けます。というか境内しか車を置くところがない。

(仁王門。駐車場から少し降りたところにある)

(本堂)

(大師堂)

(滝)

(厄除け薬師如来立像。この下に胎内めぐりがあったのだが気がつかなかった)

(厄除け薬師如来立像の下にある津野正忠の供養碑。正忠は勝興の実子だったが長宗我部元親の三男・親忠が津野氏を継いだため、無住だった清滝寺に住居した。この供養碑は1799年の二百回忌に子孫らによって建てられたもの)

(清滝寺から土佐市内を望む)

 この近くに津野正忠の墓もあるはずなのだが詳しいことが分からず探していた。すると須崎から来られていた方から「境内で果物を売ってる方が詳しいみたいだよ」と教えてもらったので尋ねて見ると坂の途中に今でもご子孫の方がお住まいで、その近くに墓があるとのこと。詳しい場所を教えてもらった後に、お礼にミカンを買うと歩いて坂を下る。そうすると坂沿いに分かりやすい道標が・・・。

(道標)

(津野正忠の墓。荒れ果てていると思っていたが、今でもご子孫の方が大切にされているのか整備されていた。津野家は江戸時代もこの辺りでは名家で昔は津野家が市内に出るためだけの道があったのだとか)

(清滝寺と正忠の墓の間に建つ津野神社)




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