住所:三重県津市河芸町上野
1570年、織田信長の弟・信包が津城の仮城として築城。1580年に津城が完成すると普請奉行・分部氏が城代となり、1595年には1万石を与えられ独立大名となった。関ヶ原の戦いの功で1万石を加増され2万石の大名となったが、1619年に近江の大溝へ移封され廃城となる。現在は青少年公園となって整備されている。
コラム:標高30メートルの場所にあるため、昔は本丸から伊勢湾が一望できたんだそうです。今は木が邪魔をして展望台に登らないと見ることができません。
住所:三重県津市河芸町上野
1570年、織田信長の弟・信包が津城の仮城として築城。1580年に津城が完成すると普請奉行・分部氏が城代となり、1595年には1万石を与えられ独立大名となった。関ヶ原の戦いの功で1万石を加増され2万石の大名となったが、1619年に近江の大溝へ移封され廃城となる。現在は青少年公園となって整備されている。
コラム:標高30メートルの場所にあるため、昔は本丸から伊勢湾が一望できたんだそうです。今は木が邪魔をして展望台に登らないと見ることができません。
住所:三重県亀山市本丸
1264年、関氏が亀山古城を築城。関氏は一度、織田信長によって城を追放されるが、小牧・長久手の戦い後、城主に復帰した。しかし関一政は蒲生氏郷の与力として陸奥白河に移封。新たに入った岡本氏が城を現在地に移転した。
関ヶ原の戦い後に関氏が再び亀山城主となるがすぐに移封され、それから城主が何度も変わる。最後は石川氏が入り明治維新を迎えている。当初、天守があったものの1632年に堀尾忠晴が丹波亀山城と間違って解体してしまい、以来天守は建てられなかった。
現在は公園として整備されており、天守台跡に建つ多門櫓が三重県で唯一現存する城郭建造物として保存されている。
コラム:間違えて天守を解体した話ですが、小藩の亀山藩には不釣り合いということで幕府が意図的に解体させたという説もあります。
住所:三重県鈴鹿市神戸本多町
伊勢亀山城主・関氏の一族である神戸氏が天文年間(1532~1555年)に築城した。神戸氏は北伊勢で力をふるったが、侵攻してきた織田信長に降伏。三男・信孝を養子として和睦した。本能寺の変後、信孝が岐阜城に移りで羽柴秀吉と対立して自害させられたため、織田信雄の家臣が入る。しかし小牧・長久手の戦いで羽柴軍に奪われて生駒親正に与えられた。
その後、滝川氏・水野氏・一柳氏が城主となったが、一柳氏が移封となった後、天領となったため、城は破却され櫓などは桑名と亀山城に移されてしまった。その後、石川氏・本多氏が城主となり明治維新を迎える。現在は建物は壊され大半は神戸高校の敷地となっているが、本丸付近は公園として整備されている。