松ヶ島城(織田信雄の居城)

住所:三重県松阪市松ヶ島町

 1567年、北畠具教が織田信長の侵攻に備えて築城。当時は細首城という名だった。1580年、信長の次男・信雄が田丸城から松ヶ島城に移り改修。伊勢湾に面して堀が巡らされ、五層の天守が建てられていたという。その後、城主は津川義冬・滝川雄利を経て、1584年に蒲生氏郷が近江日野城から移封される。
 ところが蒲生氏郷は従来の松ヶ島城よりも四五百森(よいほのもり)に注目し、そこに松阪城を築城し町人や寺社を強制的に移したため、松ヶ島は漁村となってしまった。現在は天守台跡と推測される丘が残っているだけである。

(松ヶ島城跡にある天守台跡と碑)

(全景)

(松ヶ島城から近郊を望む)

コラム:ここに行くには狭い農道を通るため、車を途中で停めて歩いて行きました。


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寒松院(藤堂高虎の墓)

住所:三重県津市寿町5ー24

 津藩二代藩主・藤堂高次が昌泉院を創建したのが始まり。のちに高虎の号から名前を取って寒松院と改められる。藩主の菩提寺として厚い保護のもと興隆。明治維新後もこの地方の中心的寺院だったが、太平洋戦争の空襲で建物が焼失してしまい、敷地も縮小されてしまう。現在も藩主歴代の墓は残っている。

(本堂)

(藤堂高虎の墓)

(歴代藩主の墓)

コラム:残っているお墓は圧巻です。津城に行った際はついでに寄ってみてください。


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津城(安濃津城)

住所:三重県津市丸之内

 織田信長の弟・織田信包が築城。1580年には五層の天守・街が完成した。1595年、富田氏が城主となる。関ヶ原の戦いでは西軍3万の攻撃を受けながらも善戦したが、高野山の木食上人の調停で開城。1607年、富田氏が改易され藤堂高虎が城主となると城は大改修され街も整備された。以後、藤堂氏は移封も無く明治維新を迎えている。
 明治時代に名古屋の商人が建物を千円で購入。取り壊し木材を名古屋に持ち帰っている。現在は堀の大部分も埋め尽くされて、わずかな堀と1958年に再建された角櫓があるのみである。

(角櫓)

(堀)

(門跡)

(藤堂高虎の像)

(城内にある高山神社。高虎を祀っている)

(高山神社に奉納されていたお酒)


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