住所:三重県松阪市殿町
北畠氏の家臣が開拓した土地の一角に四五百(よいおの)森という丘があり、1588年に蒲生氏郷が松ヶ島城からそこに移転して築城したのが始まり。氏郷は築城後に「座」を廃止し楽制にして商売がしやすいようにしたため商人が集まり、その後の商業都市・松阪の基礎を築いた。
蒲生家が会津に移封されると服部氏・古田氏を経て紀州徳川家の管轄となる。天守は一国一城令で壊される予定だったが、費用の関係から放置され江戸時代に崩壊した。1794年、二の丸に陣屋が建てられたが1877年に焼失。門などものちに取り壊され、米蔵のみが現存している。
現在は松阪公園として整備されている。
感想:やはりここの見所は石垣ですねえ。