住所:三重県度会郡玉城町田丸
1336年に後醍醐天皇が吉野を拠点とし足利尊氏に対抗した際、北畠親房が天皇に呼応して南朝の拠点として築城。田丸が熊野路と参宮街道の要所に位置していたのが選定の理由だという。戦国時代まで北畠氏が領していたが、織田信長の次男・信雄が北畠氏の養子となった際、田丸城を北畠氏の居城とした。その後、蒲生氏郷が伊勢の多気・度会郡を賜った際、氏郷との繋がりがあった北畠氏の一族・北畠忠顕が城主となる。
関ヶ原の戦い後、岩出城主の稲葉氏が4万5千石の大名となって田丸に入る。稲葉氏が1616年に移封されると、藤堂氏が領したが、すぐに紀州徳川家の領地となり家老の久野氏が城代として入り明治維新を迎えた。遺構として移築門、石垣、堀がある。
(外堀の残石。2011年の桜橋掛け替え工事の際に発見された)
(富士見門。廃城で一度は市民の手に渡ったが、1984年に町が買い取り現在地に移築している)
コラム:ここの石垣は一見の価値有りです。