遠江史跡巡り2010(高天神城・掛川城・一言坂古戦場・浜松城)

2010年12月18日(土)、近いけどあまり行かない静岡県の史跡に行って来た。

1.高天神城・・・静岡県掛川市下土方。「高天神城を制するものは遠州を制する」と言われた程の要衝。築城年代ははっきりしないが、戦国時代前期に今川家の支配下となる。桶狭間の戦いで今川義元が敗死し徳川家康が遠江に侵出すると、城主・小笠原氏は徳川家の傘下に入った。1574年に武田勝頼軍によって落城したが、長篠の戦いで勝頼が勢力を失うと、家康が1581年に奪い返している。その後、廃城となった。
 堀切・曲輪・土塁などが良好に残っている。国指定史跡。

感想:行きたかった大河内政局が幽閉されていた石牢は土砂崩れのためなのか工事中で見学することが出来なかったTT

(的場曲輪跡)

(本丸跡に建つ高天神城跡の碑)

(小笠原長忠と奥方の顔抜き看板。渋い選択だなあ・・・)

(西の丸跡に建つ高天神社)

(高天神社から遠州灘を望む)

(堀切跡)


2.掛川城・・・静岡県掛川市掛川1138。詳しくはこちらをご覧下さい。

感想:当たり前だが、大河ドラマ『功名が辻』放送当時にあった『戦国の館・掛川』が無くなっていた。

(復元天守)

(天守内部に展示してある山内忠義の頭形兜)


3.一言坂古戦場・・・静岡県磐田市一言。1572年、三箇野川の戦いで武田信玄との戦いに敗れた徳川家康は浜松城に向かって敗走。その途中、家康は武田軍の追撃を受けたが、本多忠勝の活躍で浜松城に逃れることができた。有名な「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」という落首が立ったのは、この時である。

(一言坂の戦跡の碑)


4.浜松城・・・静岡県浜松市元城町。詳しくはこちらをご覧下さい。

感想:とにかく寒かった・・・。

(徳川家康公若き日の銅像)

(後ろ姿。おしりにはもしかしてウ・・・まあいいや)

(浜松城)


5.三方ヶ原古戦場碑・・・静岡県浜松市北区根洗町。ここが三方ヶ原古戦場だったかどうかは定かではないらしい。


 本日はこれにて終了。いつも混んでいる岡崎インターの前後を通って帰った。
本日の感想:静岡県、意外と寒かったな・・・。家康が晩年に住んだので、もっと温暖な気候かと思っていた。駿河と遠江で気候が違うのかもしれない。

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美濃大垣城

住所:岐阜県大垣市郭町

 1535年に宮川安定が築城されたといわれる。その頃は規模の小さな城だったが、1556年に氏家卜全が拡張。1585年、一柳直末が城主となった際、天守閣が建てられ本格的な城となる。関ヶ原の戦いでは西軍の本拠地となり、ここで指揮が取られた。本戦で西軍主力が敗北すると、大垣城は東軍に攻められ落城している。その後、大垣城は石川氏・松平氏・岡部氏・松平氏が治め、最終的には戸田氏が移封され、明治維新まで続いた。
 城は明治後も取り壊されることもなく1936年には国宝にまで指定されたが、19457月の空襲で焼失した。現在の天守閣は1959年に再建されたものである。

(大垣城の外堀だった水門川)

(東門及び丑虎櫓)

(天守閣としだれ桜)

(復元天守)

(戸田氏鉄の像)

(門)

(天守閣と桜)

(大垣藩主・戸田氏を祀る常葉神社の鳥居)

(常葉神社の本殿?)

感想:戸田氏鉄の銅像はかっこよかったですが、来た人みんなに「誰だこれ?」と言われていました。戦国好きにも、あまり知られていませんーー;
 ここは駐車場がなく公園横の違法駐車が目立ちました。


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清泰寺(佐藤清信・佐藤秀方・金森長光の墓)

住所:岐阜県美濃市殿町1439−1

 臨済宗妙心寺派。金森長近が小倉山城を築いて城下町を形成した際、前領主・佐藤氏の菩提寺だった以安寺を廃し、清泰寺を創建し金森氏の菩提寺とした。長近の系図上の孫・金森宗和が作庭した庭園が有名。

(山門)

(右から佐藤清信・佐藤秀方・金森長光の墓。佐藤氏の墓は以安寺から移転されたもの)


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