美濃高須城(高須藩の居城)

住所:岐阜県海津市海津町高須町

 1522年に築城されたが、度重なる水害で何度も修築された。関ヶ原の戦い後、城主は徳永氏・小笠原氏を経て、1700年に尾張徳川家から松平義行が入り、高須藩3万石の居城となる。会津藩主・松平容保が高須藩の出身であることは良く知られている。現在、本丸跡には海津高校が建っている。

(海津高校周辺)

(海津市海津町萱野205−1にある海津市歴史民俗資料館)

感想:堀の一部と案内版があったようですが、場所が分かりませんでした。


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野村陣屋(織田家の陣屋)

住所:岐阜県揖斐郡大野町野

 関ヶ原の戦いの功で野村1万石を与えられた織田長孝(有楽斎の息子)が陣屋を構えたのが始まり。その後、織田家に嗣子がなく改易されたため、野村周辺は大垣城主・戸田氏の領地となり、陣屋の北東数百メートルのところに藩邸が築かれた。現在、陣屋も藩邸も打ち壊され住宅と田畑になっているが、藩邸の移築門が近隣に二つ現存する。

(野村陣屋跡)

(野村藩邸跡)

(移築された野村藩邸の役所門)

感想:この辺りは野村陣屋や藩邸よりも、すぐ近くにある野古古墳が良く知られています。私は車をそこの駐車場に駐めました。


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墨俣一夜城(豊臣秀吉の一夜城伝説の城)

住所:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1

 織田信長は美濃攻略の足がかりとして墨俣に砦を築こうとした。しかし信長の家臣らは美濃の斎藤氏の妨害にあってことごとく失敗。そこで豊臣秀吉が名乗りをあげ、蜂須賀小六らの協力を得て見事、砦を完成させた。それがきっかけとなり信長は美濃の攻略に成功している。
 しかし近年、砦の存在や秀吉の活躍などが疑問視されている。現在は模擬天守が建てられ、中は歴史資料館になっている。

(模擬天守)

(木下藤吉郎の像)

(碑)

(墨俣築城犠牲者の墓)

(豊臣秀吉らを祀る豊国神社)

感想:資料館として見ると充実していました。


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