埼玉県史跡巡り2010(1日目後半:平林寺・喜多院・川越夜戦跡)

6.平林寺・・・新座市野火止3-1-1。1375年、太田氏の帰依によりさいたま市岩槻区に開山されたが、1663年に移築されている。
感想:紅葉の名所らしく賑わっていた。もっとこぢんまりした寺を想像していたのだが・・・。

(参道)

(武田信玄の次女・見性院の墓)

長宗我部盛親の烏帽子親・増田長盛の墓)

(紅葉)


7.喜多院・・・川越市小仙波町1-20-1。830年創建の名刹。1537年の兵火で焼失したが、1599年に天海が住職になると幕府の後援で復興し、1613年には関東にある天台宗の本山となる。国の重要文化財に指定されている建物が多数ある。

(天海の像)

(慈恵堂。国の重要文化財)

(歴代住職の墓。この中に天海さんも眠っているはず・・・)

8.河越城・・・川越市郭町2-13-1。
感想:本丸御殿が改装中で何も見られませんでした・・・。

9.太田道灌の像・・・川越市元町1丁目3-1(川越市役所)。川越市制50周年を記念して1972年に建てられた。

10.東明寺・・・川越市志多町13-1。日本三大奇襲戦として名高い川越夜戦は東明寺の寺領内で行われ、東明寺口合戦とも呼ばれる。境内に川越夜戦跡の碑がある。
感想:まだ16時40分だったが、すでに日が落ちて撮影が難しくなってきた。
(碑)


 ここで私が決めていた予定は終わりだったが、Sさんの案内で近くの史跡に行く。
11.河越館跡・・・川越市大字上戸192-5。平安時代末から南北朝時代にかけて有力な関東武士だった河越氏の居館跡。現在は河越館跡史跡公園になっている。


 最後に河越館跡史跡公園の隣にある常楽寺に行った。大道寺政繁の墓があったのだが、真っ暗にお墓に行くのは失礼なので止めておいた。また次回来よう・・・。
 川越駅方面に戻ってSさんとお別れし、今日は終了。
本日の感想:川越市の渋滞が半端じゃなかった。
 Sさん、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました!

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埼玉県史跡巡り2010(1日目前半:三ツ木原古戦場・小手指ヶ原古戦場・滝の城)

 2010年11月20日(土)、生まれて一度も行ったことがなかった埼玉県に行ってみた。渋滞を避けるため、多少遠回りになるが長野県・群馬県経由で埼玉県に入る。
 朝10時に最初の目的地に到着。今回、埼玉県をご案内してくださるSさんと合流した。

1.智観寺・・・飯能市中山520。丹治武信が元慶年間(877~885年)に創建。丹治氏の子孫・中山家範は小田原征伐で八王子城を守って戦死した。次男・信吉は徳川家康に見出されて水戸藩の付家老となり、水戸光圀の養育係として知られている。

(山門。幕府軍と新政府軍が戦った飯能戦争で被弾した跡が残っている)

(中山信吉の墓)


2.三ツ木原古戦場・・・狭山市新狭山3-3。1537年、三ツ木原で武蔵の支配を狙う北条氏綱と扇谷(おうぎがやつ)上杉家の当主・朝定の戦いが行われた。結果、北条軍が勝利し、朝定は河越城を奪われ武蔵松山城に退いている。現在は三ツ木公園となっている。

(碑)


3.小手指ヶ原古戦場・・・所沢市北野2丁目。1333年、新田義貞と鎌倉幕府軍の金沢氏らが激突した古戦場。中北野中学校の西に碑が建っている。
感想:詳しい場所が分からず壮年の方や女子中学生に聞いたのだが、皆さん場所をご存じだった。こういう史跡を誰でも知っているというのは珍しい。学校で教えているのだろうか。

(碑)

4.白旗塚・・・所沢市北野2丁目。小手指ヶ原の戦いで新田義貞が陣を構え、源氏の旗印である白旗を立てた場所。小手指ヶ原古戦場碑から西に100メートル弱歩いた丘に碑と祠が建っている。

(碑と祠)


5.滝の城・・・所沢市城537。もとは本郷城と呼ばれたが、城内に流れる滝にちなんで滝の城と呼ばれるようになった。滝山城と岩槻城などを結ぶ北条氏の支城として利用されたが、小田原征伐で落城し廃城になったといわれる。堀・土塁などが良好に残る。

(堀)

(瀧之城本丸之跡の碑)

(本丸跡に建つ神社)


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駿河駿府城(徳川家康の居城)

住所:静岡市葵区駿府公園1

 駿府は室町時代に今川氏が駿河守護に任じられてから拠点として栄えたが、1568年、武田信玄によって今川氏真が関東に追放されてしまう。1582年に武田氏が滅亡すると、徳川家康が駿府を支配し1585年から築城を開始。しかし1590年、家康が関東に移封されると中村一氏が入城する。
 関ヶ原の戦いで中村氏が伯耆へ移封されると、徳川家が再び支配。1607年には将軍職を退いた家康が隠居城とする。この際、大坂城にいる豊臣秀頼が万が一、江戸に向かって進撃してきた時のために大改修を行った。
 当初は天守閣など多数の建造物があったが、1635年の火災で焼失してしまい、さらに他の建物も明治維新で取り壊されてしまう。現在の建物は復元されたものである。

(東御門)

(櫓)

(大手門跡)

(弥次喜多銅像)

(本丸堀)

(北御門跡)

(本丸から二の丸を経て外に水を流すために造られた二の丸水路)

(徳川家康の像)

(東御門の中にある徳川家康の像。厭離穢土欣求浄土!)

感想:東御門と巽櫓の中でガイドさんの説明を熱心に書き留めている女の子が印象的でした。将来、立派な先生になるのかな・・・。


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