新城城(奥平信昌の居城)

住所:愛知県新城市字西入船76

 大谷城主・菅沼定継が築城。長篠の戦いの後、長篠城主・奥平信昌は徳川家康から郷ヶ原に築城を命じられ、現在の場所に新城城を移した。1590年、徳川家が関東に移封されると池田家の領地の一部となる。関ヶ原の戦い後、池田家が移封されると一時、天領となったが、1606年に水野分長が1万3千石の領主として新城に入り支配した。水野家が上野安中に移封されると、天領を経て菅沼家が入り明治維新を迎える。
 現在は新城市役所や新城小学校が建ち、小学校には門が復元されている。

(新城小学校の門)

(空堀?)

(新城城址の碑)

感想:この日は豪雨で撮影が大変でした。でも奥三河から豊川や豊橋の方に出たら、雨すら降っていませんでした。
 城は碑などが小学校の中なので、許可をもらって入った方がいいでしょう。


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三河大崎城(戸田氏の城)

住所:豊橋市船渡町城戸中

 1519年頃に戸田氏が今川氏に奪われた今橋城に対して築いた城である。その後、1547年に戸田氏が滅亡すると城は意味をなさなくなり放置された。しかし1601年、旗本の中島重好が入り陣屋となっている。
 空掘や土橋などが残っている。

(城址に建っている竜源院)

(空堀)

(土橋)

感想:ここの堀は三河地方で有数なものだそうです。


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三河吉田城(酒井忠次の居城)

住所:愛知県豊橋市今橋町

 1505年、今川氏の家臣・牧野古白が前身となる今橋城を築城(1522年に吉田城と改められた)。吉田城は東三河の要所として何度も今川氏・松平氏の攻防の舞台となっている。1565年、三河を統一した徳川家康の家臣・酒井忠次が入った。
 1590年、徳川家が関東に移封されると池田輝政が入ったが、関ヶ原の戦い後に播磨・姫路城に移った。その後は松平・水野・小笠原・久世など徳川家の譜代大名が入り明治維新を迎えている。
 現在は豊橋公園として整備され、昭和29年には鉄櫓が復元されている。

(石垣)

(鉄櫓)

(吉田城の側を流れる豊川)

感想:1号線を西から来ると、鉄櫓と豊川を見た時に「ああ、豊橋市に来たなあ」っていつも思います。


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