住所:愛知県新城市字西入船76
大谷城主・菅沼定継が築城。長篠の戦いの後、長篠城主・奥平信昌は徳川家康から郷ヶ原に築城を命じられ、現在の場所に新城城を移した。1590年、徳川家が関東に移封されると池田家の領地の一部となる。関ヶ原の戦い後、池田家が移封されると一時、天領となったが、1606年に水野分長が1万3千石の領主として新城に入り支配した。水野家が上野安中に移封されると、天領を経て菅沼家が入り明治維新を迎える。
現在は新城市役所や新城小学校が建ち、小学校には門が復元されている。
感想:この日は豪雨で撮影が大変でした。でも奥三河から豊川や豊橋の方に出たら、雨すら降っていませんでした。
城は碑などが小学校の中なので、許可をもらって入った方がいいでしょう。