水野分長

(みずのわけなが)

生没年:1562~1623年/ 身分:三河新城1万石の大名/ 官位(通称、号):備後守

新城城復元門
愛知県新城市東入船の新城小学校に建つ新城城復元門

【家康の従兄弟】水野忠分の長男。尾張に生まれる。水野勝成徳川家康の従兄弟にあたる。最初、叔父の水野忠重に属す。小牧長久手の戦いで首級を獲た。小田原征伐にも忠重に属して従軍する。その後、水野家を去り家康の命で蒲生氏郷に属し、九戸政実の反乱で先陣を務め戦功があった。1599年に家康に呼び戻され関ヶ原の戦いに参加する。1601年に尾張小河1万石を与えられた。1604年に備後守に任ぜられる。

【新城城主】1606年に三河新城に移封され、設楽・宝飯郡内で1万石を与えられた。大坂の陣に従軍する。1616年に家康が亡くなると徳川秀忠に仕え、近江栗太郡内で2千石を加増された。1620年に徳川頼房に付けられ水戸に移る。この際に新城の領地は長男の元綱に譲り、分長は安房・上総国内で1万5千石を与えられた(近江の領地は収公(しゅこう。領地などを幕府や政府などが取りあげること。しゅうこう)されている)。1623年3月1日死亡。法名・受光院殿実窓英真大居士。愛知県新城市字裏野の永住寺に葬られる。安房・上総国内の領地は相続するものがなく収公された。

参考文献三百藩藩主人名事典寛政重修諸家譜

UPDATE 2005年11月26日
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