水野元綱

(みずのもとつな)

生没年:1594~1665年/ 身分:三河新城1万石の大名の子/ 官位(通称、号):大和守

新城城復元門
愛知県新城市東入船の新城小学校に建つ新城城復元門

 水野分長の長男。尾張に生まれる。1607年に徳川秀忠に仕え、1612年に大和守に任ぜられた。大坂冬の陣では水野忠元に属して出陣し、夏の陣では首級1つ獲る。1616年に近江伊香郡内で千石を与えられた。
 1620年に父・分長が徳川頼房に付けられ水戸に移ると、三河新城1万石を相続する(この際に近江の領地は収公(しゅこう。領地などを幕府や政府などが取りあげること。しゅうこう)された)。この際に備後守に改めた。
 その後、大番頭・奏者役などを務め、1633年に4千石を加増され1万4千石となる。1653年に上野安中2万石に移封された。1657年に琉球の使いが日光山に行く際にそこに赴く。1665年5月16日死亡。法名・心源道要自雲院。東京都新宿区新宿の天龍寺に葬られた。

管理人・・・元綱は信仰心が厚く新城市の永住寺の修築を行なったそうです。

参考文献三百藩藩主人名事典寛政重修諸家譜

UPDATE 2005年11月26日
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