水野忠元

(みずのただもと)

生没年:1576〜1620年/ 身分:相模国内で領主/ 官位(通称、号):監物

 尾張小河城主・水野忠守の三男として生まれる。幼少から徳川秀忠に仕え、相模国内に領地を与えられた。大坂の陣に従軍し、その功で陣後に下総山川3万石を与えられる。1617年に5千石が加増され3万5千石の大名となった。1620年10月6日死亡。茨城県結城市の万松寺に葬られる。

管理人・・・忠元は山川で城や城下町の整備などを行ない、基礎固めをしたそうです。忠元の子孫が天保の改革で有名な水野忠邦です。

参考文献三百藩藩主人名事典、ほか

UPDATE 2004年12月17日
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