高知・愛媛8泊9日史跡巡りの旅2010(2日目:初陣祭)

 5月23日(日)、今日は涙雨かあ。ホテルを出て高知市の若宮八幡宮で行なわれる初陣祭に向かう。でも、その前にちょっとだけご挨拶を・・・。
 最初は雪蹊寺に行き信親さんと戸次川戦没者の皆さんと月峰和尚にご挨拶。

(雪蹊寺山門。初陣祭があるから、そこそこ人がいるかと思ったらお遍路さんだけだった・・・)

(長宗我部信親の墓。花が添えてあった)

(隣の秦神社。新しそうな社務所があった。新しく建てたんだっけ? 修築したんだっけ? 忘れた・・・)

 次は長宗我部元親のお墓。ここでは人とすれちがった。鎖が今回も外してあったが特別な日だからだろうか。

 挨拶を済ますと今度こそ若宮八幡宮に向かう。早めについたおかげかガラガラだった。取りあえず神社にお参りに行った。
(参道)

 受付を済ませて待っていると次第に人が集まってきた。11時より初陣祭開始。神事の後は恒例の四国電力さんによる銅像洗い。昨日の長宗我部フェスで何かをした人は、特別に洗わせてもらう権利を得ていたので台座に乗って上から顔を洗っていた。この頃、ちょうど土砂降りで台座の中は水浸しだったと思う。お疲れ様です・・・。

(元親に急接近)

(結構な高さだ)

 さて銅像洗いも終わると若宮八幡宮内で直会(なおらい。「なおり(直)あい(合)」の変化とも「なおる(直)」に反復・継続の助動詞「ふ」のついたものの名詞化ともいう。忌(い)みの状態から平常になおることの意で、そのしるしの飲食をいう。神事の後、神前にささげた神酒・神饌(しんせん)をおろして行う宴会。また、そのおろした供え物。のうらい)が催された。
(ちなみに直会はずっと高知の方言だと思っていた。一般常識でした・・・)
 近くにいた人と何を話したかあんまり覚えていない。真田ファンの人が「幸村は華麗なる一発屋」みたいなことを言われたことだけは覚えている。

(直会の様子)

 2時間で楽しい時間も終わり。みんなで記念撮影をすると解散(撮影の際、デジタル一眼を触ったことがない人が一生懸命モニターを見ながら撮影しようとしてブーイングされていた。しかしあまりカメラを触ったことがない人は分からなくても仕方がないんじゃないかと思う。最近はファインダーの付いてないコンパクトデジカメも多いし)。
 それから桂浜に行きたいという人達を乗せて移動。この時間にホテルに戻っても暇だったからちょうど良かった。
 桂浜は予想通り荒れていたが、一緒に来ていた方は「普通の観光が出来ただけでも良かった」とのこと。まあ、これで良ければ・・・。

(桂浜。写真では分かりづらいけど波が高かった)

 最後にお土産を買って高知駅に向かった。帰る途中、一人の方が私に山陰の話をふってくれて「ゲゲゲの女房」とかの話をしていた。ゲゲゲの女房、いい話だよねえ・・・。今後の展開が楽しみです。
 その方から言われた「RAILWAYSもやるし」の一言が良く分からなかったのだが、あれって一畑電鉄(松江市と出雲市を走る私鉄)が舞台なのね(映画の内容は知っていたが山陰が舞台だとは知らなかった)。今年は山陰の中部が盛り上がるかもしれんなあ。って高知の旅のことを書いてるのにそんなこと言ったらいかんか^^;
 そして高知駅で解散。ホテルに戻った。

本日の感想:今回で三回目となる初陣祭だが初めての雨となった。この時期は晴れていると暑くて大変だけど、雨よりはマシだね。来年は晴れるといいな。

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高知・愛媛8泊9日史跡巡りの旅2010(1日目:シンポジウム)

 5月22日(土)、高知県の歴史民俗資料館で長宗我部氏に関するシンポジウムに参加するため高知市に向かう。渋滞を避けるため、朝の3時半に出発。徳島県で仮眠を取って高知駅に到着。歴史民俗資料館が南国市にあるのでそのまま迎えば良かったのだが、同時に長宗我部フェスというお祭りが開催されており渋滞が予想されたため、駅の駐車場に駐めてバスで向かった。
 途中、偶然にも知り合いの方と出会い一緒に路線バスで向かった(高速バスで来るのは知っていたので一緒になる可能性が高いだろうなあ、とは思っていた)。12時半頃、歴史民俗資料館のある岡豊山の麓に到着。そこから登頂。途中に五郎次郎さんのお墓があったのでお参り。

(香川親和の墓。来るのは三度目?)

 歴史民俗資料館に到着すると仮装コンテストの前で割と静かだった。そちらを横目にシンポジウムに参加。たくさんの資料と4時間にも及ぶ講演はとても勉強になった。歴史民俗資料館さん、ありがとうございました。

(シンポジウムの会場)

 その後、飲み会に呼んでいただきました。飲み会の場所が分からずどうしたもんかと思いましたが、なんとかたどり着きました>< そしていろんな人といろいろ話して解散。立花家が好きな方と二人で飲みに行って0時半頃、ホテルに戻りました。
本日の感想:長宗我部がここまでなるとは・・・。10年前は誰も予想していなかった。ということをシンポジウムが終わった後に10年来の付き合いがある方と話していました。
 イベントを開催して下さった皆様、ありがとうございました!

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長野・上越史跡巡り2010(2日目:上杉景虎の供養塔・鮫ヶ尾城・飯山城)

 2010年5月3日、上越市で起床。早めの朝食を取ると早速史跡巡り。

7.勝福寺・・・新潟県妙高市大字乙吉496。この辺りが上杉景虎が亡くなった鮫ヶ尾城の館跡だった。景虎の石像及び供養塔がある。
感想:雪がないねえ(当たり前か)。2年半前に来たときはとんでもない状態だったので。

(2年半前の勝福寺)

(現在)

8.鮫ヶ尾城・・・新潟県妙高市宮内。上杉景虎終焉の地。堀切、曲輪などが良好に残っている。二ノ丸跡から炭化した握り飯が見つかったニュースは記憶に新しい。
感想:炎の蜃気楼という小説のファンの聖地らしい。ネットで調べたら炎の蜃気楼ファンのことを「ミラジェンヌ」というらしいが本当かどうか定かではない。
 南の入り口から本丸まで20~30分はかかった。

(堀切・・・だと思う)

(本丸跡。遅咲きの桜を見に地元の人が来ていただけ。景虎ファンは見かけなかった)

(本丸から見た上越方面)

9.二本木駅・・・新潟県上越市中郷区板橋552。史跡ではない。一説によるとこの辺りで森長可は本能寺の変を知ったらしい。ここで瞬時に判断して美濃まで逃げ帰った長可はさすが。
感想:普通の地方駅。
「自動券売機にお金を入れてるからしばらく外に出ていて」。
 駅員さんに言われて素直に出ました。そういうのは夜にやるものかと思っていたら昼に補充するのね。

(駅舎)

 これで新潟県はお終い。さよなら。今度はゆっくり廻るよ。

10.飯山城・・・長野県飯山市飯山。築城年月は不明。北信濃の重要拠点の一つ。上杉謙信が川中島の戦いの際に修築している。武田家を滅ぼした織田信長の命で森長可が城主となった。本能寺の変で長可が放棄すると上杉景勝が占拠している。上杉家が会津に移封後は皆川・佐久間など領主が頻繁に替わっている。
 石垣などが残っている。

感想:ここもずっと来たいと思っていた場所。何でかっていうと皆川広照が城主だったから。ちなみに案内板には森家の名前は無かった。城主だった期間が短いからね・・・。
 どういう団体か分からなかったがツアー客が来ていた。

(本丸跡に建つ葵神社)

(石垣)

(復元門)

 それから松代で食事をして、森長可の逃亡コースをなぞって松本から木曽を通って恵那市まで出た。途中で松本城や木曽福島城に寄ろうとしたが渋滞や時間の関係で断念><
 恵那市に着いた頃には夕方だった。

11.大井宿本陣跡・・・岐阜県恵那市大井町横町50-1。中山道の宿場町。森長可が休憩した場所。

 これにて終了。

本日の感想:不完全燃焼な史跡巡りだったがGWだったことを考えると仕方ないね。木曽や東濃はいつでも行けるし。

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