千人塚(毛利尼子古戦場、山崎古戦場、府野(布野)崩れ)

●千人塚(布野崩れの戦死者埋葬地)
住所:広島県三次市布野町上布野
駐車場:南に公園用の駐車場があるが荒れている

 上布野地区は出雲南西部(現在の島根県飯石郡飯南町)との県境近くに位置する。
 天文13(1544)5月、尼子晴久は月山富田城を攻めてきた大内義隆や毛利元就を撃退し、吉田郡山城の敗北で失った支配地域を取り戻そうと企てる。同年7月、備後の比叡尾山城を攻撃するため尼子軍七千は出雲から南下し当地に陣を構えた。これに対して比叡尾山城主・吉田広隆と毛利から援軍の福原貞俊・児玉就忠の千人が迎え撃ったが、三吉川の霧のため2~3メートル先も見えない状況だったため尼子軍の先方に散々にやられ、貞俊と就忠が手傷を負うという敗北を喫した。しかし両将は「霧が晴れればこちらの数が少ないことがばれてしまう。傷は浅いので、もう一戦仕掛ける」と討ち死に覚悟で再度攻撃する。これも敗北したが、二度の勝利に尼子軍が油断したところを翌日に吉田広隆が攻撃し撤退させた。
 これを『吉田物語』では「御当家(毛利家)にて府野崩れと申伝候」と記している。旧地名にちなんで山崎合戦とも呼ばれる。千人塚は両軍の戦死者を埋葬した場所と伝わる。

(千人塚の横の道路。この辺りで戦いがあったのだろうか)
道路

(道路側に千人塚に登る道があったのだが現在は荒れていた。北側の墓地から登れば雑草が少ないので楽)
登る道

(塚(丘)の上。ちょっとした平地になっているので、ここは両軍どちらかの陣城だったのだろうか。滞在場所が必要だとすると尼子軍か?)
塚(丘)の上

(全景)
全景

(上布野地区の景色。建物のある辺りに広島県と島根県を結ぶ主要国道の54号が通っている。その手前に布野川が流れており、そこから霧が発生したのだろう)
上布野地区の景色

参考文献:吉田物語、現地の案内板、広島県の地名

感想:三次市は川に囲まれているためか霧がよく発生します。
 同時代史料がないかと思い検索してみましたが、吉田物語の他は陰徳太平記や安西軍策で見つけることができなかったです。



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