千秋山万歳院功徳寺(多賀山通続の墓)

●千秋山万歳院 功徳寺(くどくじ)
住所:広島県庄原市高野町新市1118
駐車場:境内に駐められるスペースがあるが駐車して良いかは不明

 曹洞宗。本尊は聖観音。寺伝によれば弘仁元(810)年、空海が全国を行脚した際、当地に真言宗として創建したのが始まりだという。承久3(1221)年、承久の乱に敗れ隠岐に流されることになった後鳥羽上皇が滞在したという伝承がある。
 正和5(1316)年、鎌倉幕府から備後国比婆郡地毘荘(庄原市西部)の地頭職を与えられていた山内氏の当主・通資が当地に赴き蔀山城を築いて、元享元(1321)年には当寺を庄原市殿垣内町に移して臨済宗に改め菩提寺とした。文明15(1483)年、山内氏の庶流で蔀山城主だった多賀山通続が現在地に移転し曹洞宗に改める。弘治元(1555)年、火災で焼失し後鳥羽上皇の万歳院の勅額や古文書類が失われたという。同年、多賀山通定が再建。最盛期の天正年間(1573~91年)には20もの末寺があったという。
 関ヶ原の戦い後、備後を多賀山氏(山内氏)の主君・毛利氏に代わって福島正則が治めると寺領を没収され荒廃したが、正則に代わって浅野家が治めるようになると再び庇護を受け再建された。

(車道入口。行けそうだったが急な坂に見えたので道路に駐めて階段を登った。危ないと思ったら止めておく主義なので)
車道入口

(本堂)
本堂

(塀)
塀

(燈籠や手水舎など)
燈籠や手水舎

(南の神野瀬川方面を望む)
南の神野瀬川方面を望む

(多賀山通続の墓。『広島県の地名』は通定となっていたが寺の方のお話や比婆郡誌には通続となっているため、そちらで伝わっているのが一般的なのだろう。もしかすると多賀山一族の供養塔かもしれない)
多賀山通続の墓

多賀山通続の墓

参考文献:広島県の地名、功徳寺のパンフレット、比婆郡誌

感想:急に行ったにも関わらず、お寺の方が非常に親切に対応してくださったので、多賀山通続の墓にそっとお金を供えて帰りました。



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