生駒屋敷(小折城)

住所:愛知県江南市小折字郷中

 生駒氏は生駒山麓の谷口村に住んでいたが、応仁の乱の戦乱から逃れるため尾張の小折に移り住む。後年、生駒家宗の娘が織田信長の側室となり二男一女を産んでいる。織田信雄が尾張の国主になると小折城として改築を行なう。江戸時代、生駒氏は尾張藩に仕え名古屋城下に移り住み、小折城も一国一城令で廃城となるが、周辺領地を治める屋敷として利用された。
 現在は住宅や保育園になっている。

(城趾の一角に建つ碑)

(江南市布袋町中200に建つ生駒屋敷の中門。生駒家の典医だった広間家に移築された)

感想:生駒氏っていうと偽書説でお馴染みの『武功夜話』と絡んでくるので、どこまで本当なのか私の知識では良く分かりません。ただ、ここに屋敷があったのは間違いないようです。




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古渡城(東別院)

住所:愛知県名古屋市中区橘2丁目8ー55

 1534年に織田信秀が築城。その際、居城だった那古野城を息子・信長に譲り当城に移っている。信長はここで元服したと伝わっている。1548年、信秀が尾張末森城に移ったため廃城となった。現在は真宗大谷派名古屋別院(東別院)が建っている。

(境内に建つ城趾碑。遺構は無くこれのみ)

(東別院の山門。東別院は1690年に尾張藩主・徳川光友が創建。1945年の空襲でほとんどの建物が焼失したが1962年に再建されている)

(本堂と対面所)

感想:名古屋市の中心地にありますが、駐車場はあります。




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鏡湖山円成寺(堀尾忠晴の墓)

●鏡湖山円成寺
住所:島根県松江市栄町792
駐車場:あり

 臨済宗妙心寺派。開山は松江と命名した春龍といわれる。1611年、月山富田城から完成した松江城に移った堀尾吉晴は、月山富田城下にあった菩提寺を松江城に近い洗合に移し、それとは別に瑞応寺(現在の天倫寺)を建立し堀尾氏の菩提寺とした。1633年、吉晴の孫・忠晴が無くなると堀尾氏は断絶し松江には京極氏が入る。1635年、洗合にあった元の菩提寺が現在地に移され、忠晴の法号にちなんで円成寺と改められた。
 1891年、小泉八雲が訪れている。

(山門)

(堀尾公切り出しの石。大坂の陣の後、幕府の命により大坂城修復のため岡山県の牛窓から石材を切り出した。その時の残念石と伝わる)

(本堂)

堀尾忠晴墓所)

(子安観音?)

感想:墓の門が閉まっている写真は2004年のものです。再訪した2012年は開いていました。