岐阜県史跡巡り2009その2(後半:鷲崎城・斎藤道三の供養塔・川手城)

6.鷲山城・・・岐阜市鷺山にある。鎌倉時代に佐竹秀義(常陸佐竹氏の秀義と同一人物?)が築城。その後、土岐氏が城主を務めている。土岐氏から美濃を奪った斎藤道三は、息子の義龍に家督を譲って鷲崎城に隠居した。道三が長良川の戦いで敗死すると廃城となる。現在は鷺山公園となっている。
感想:ただの丘。遺構もあるらしいが良く分からなかった。

(山頂にある碑)

(山頂から見た金華山)

7.常在寺・・・岐阜市梶川町9にある。斎藤家の菩提寺。斎藤道三・義龍の画像がある。本堂内は拝観料が必要だが、毎年4月の第一土曜日に行なわれる「道三まつり」では無料開放される。
(山門)

(斎藤道三の供養塔)

(斎藤道三の家臣らの供養塔)

8.織田信長の像・・・JR岐阜駅北口の広場にある。平成21年9月に市制120周年を記念して建てられた。都市再生を図る岐阜市の未来を表現している。
感想:今回のメイン。北側から車で来た時、知っていたにも関わらず「なんじゃありゃ!」って叫んでしまったーー; インパクト強すぎ。

(高みから岐阜市民を見つめる信長)

(アップ)

(後ろ姿も素敵)

(広場全体)

 駅には20分無料の駐車場があるので車の方はそこを利用しましょう。

9.加納城・・・岐阜市加納丸の内にある。1445年に斎藤利永が築城。一時、使用されなくなったが、江戸時代に入ると徳川家康は岐阜城を廃し加納に城を築かせた。築城後は譜代大名が城主を務めている。明治維新後に建物は取り壊された。現在は加納公園となり石垣・土塁が残っている。
感想:岐阜市民の憩いの場となっていた。

(石垣)

(本丸跡)

10.川手城・・・岐阜市正法寺町にある。美濃守護・土岐氏の居城。斎藤道三が美濃を支配して土岐氏を追い出すと廃城となる。その上、近くの加納城築城の際に土砂が利用され跡形も無くなってしまった。現在は碑があるのみ。

 これにて本日は終了。まだ16時前だったが、最近は陽が落ちるのが早いのでさっさと帰った。

感想:岐阜県、広いなあ。岩村城は運動してから行きましょう。かなりきついです>< あと金の信長像、雨で傷んだりしないのかなあ・・・。ちょっと心配。

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岐阜県史跡巡り2009その2(前半:明智城・明智光秀公御霊廟・まくら塚・岩村城)

 平成21年12月12日(土)、今年2度目の岐阜県内の史跡巡りに行ってきた。

1.明智城・・・恵那市明智町字城山にある。1247年に遠山景重が築城。戦国時代は武田軍と織田軍の争奪戦の舞台となった。1615年の一国一城令によって廃城となる。遺構が良好に残っている。
感想:昔、来たときは「大変そうな山城だなあ」と思って入り口で諦めたが、実際に行ってみると駐車場から10分ほどで本丸まで着いた。じっくり廻れば大変なのかもしれないが、さらっと終わらせたので疲れを感じるほどではなかった。

(入り口)

(天神神社。伝・明智光秀学問所らしい)

(城門の石垣跡)

(本丸)

2.加藤太光員一族の墓・・・恵那市明智町にある。源頼朝の重臣・加藤光員とその一族の墓がある。
 次の目的地である龍護寺に行く途中で見つけた。

3.龍護寺・・・恵那市明智町東山町1389-1にある。明智城主・遠山氏の菩提寺。遠山氏累代の墓がある。入り口右手には明智光秀の供養塔もある。

(明智光秀公御霊廟。御霊廟と書いて「おはか」と読ませるなんてオシャレだな)

(遠山家累代の墓。正面が累代の供養塔で、分家の遠山の金さんも合祀されている)

4.妙法寺・・・恵那市岩村町江戸町911にある。武田家の重臣で岩村城の城主だった秋山信友と一族の供養碑「まくら塚」がある。

(山門)

(まくら塚)

5.岩村城・・・恵那市岩村町城山3にある。1185年、加藤景廉によって築かれた。景廉の子孫・遠山氏が支配したが、戦国時代に入ると武田軍によって奪われる。その後、織田軍が奪回し織田家の重臣が城主を務めた。その後、城主を替えながら生き残り明治維新を迎えた。日本三大山城(大和高取城・備中松山城)の一つで、建物は取り壊されたものの石垣などが良好に残っている。
感想:久しぶりに行ったら前と違う城に来たような気分だった。城自体は何も変わっていなかったと思うが、多少なりとも城に詳しくなったおかげか石垣や虎口の状態など「こんなに立派な城だったのか」というのを再認識した。
 ただ相変わらずここの上り下りはきつい・・・。冬なのに汗だくになった。

(駐車場の手前で城主だったという説のある蘭丸さんらしき人がお出迎え)

(山頂の駐車場にある売店蘭丸。今日もお休み)

(分かりづらいけど虎口)

(石垣)

(霧ヶ井。この井戸に秘蔵の蛇骨を投げ込むと霧が城を覆い隠したという)

(藤坂の険。ここから山頂まで約700メートルの上り坂が続く)

(太鼓櫓)

 上の駐車場に駐めて降りてきたため、写真の順序が上から下となっています。
 ここが終わると次は岐阜市へ移動。カーナビをセットすると岐阜市まで90キロと出た・・・\(゚o゚;)/ なんという遠さだ・・・。考えていても道は縮まらないので、高速道路を使って岐阜市まで行った。

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後瀬山城(若狭武田氏の居城)

住所:福井県小浜市伏原

 後瀬山城は1522年に若狭守護の武田元光が本格的に整備したと言われている。そして武田氏の本拠地となったが、1568年に越前の朝倉氏に攻められて落城し当主は連れ去られた。その後、丹羽氏・木下氏・浅野氏が城主となったが、1601年に新たに若狭国主となった京極高次が中世の山城である後瀬山を廃して平城の小浜城を築城しそちらに移っている。
 現在は国道27号のトンネルが走っている以外はあまり手がつけられておらず、石垣などが残っている。

(入り口に建つ愛宕神社の鳥居)

(井戸跡)

(碑と石垣)

(本丸跡に建つ愛宕神社の祠(京極高次の娘が建てたもの))

感想:ここは登るのがとにかくきつかった! 山頂についた時はぜぃぜぃで足にかなり来ました。城は雰囲気がよく遺構も残っているので山城好きにはいいと思います。山頂は木で囲まれており風景が楽しめないのが残念でしたが、、、TT
 ここへの入り口は後瀬山トンネルの東入り口にある愛宕神社か、北東に位置する八幡神社の二つになります。私は写真の通り、愛宕神社から登りました。

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