岐阜県史跡巡り2009その2(前半:明智城・明智光秀公御霊廟・まくら塚・岩村城)

 平成21年12月12日(土)、今年2度目の岐阜県内の史跡巡りに行ってきた。

1.明智城・・・恵那市明智町字城山にある。1247年に遠山景重が築城。戦国時代は武田軍と織田軍の争奪戦の舞台となった。1615年の一国一城令によって廃城となる。遺構が良好に残っている。
感想:昔、来たときは「大変そうな山城だなあ」と思って入り口で諦めたが、実際に行ってみると駐車場から10分ほどで本丸まで着いた。じっくり廻れば大変なのかもしれないが、さらっと終わらせたので疲れを感じるほどではなかった。

(入り口)

(天神神社。伝・明智光秀学問所らしい)

(城門の石垣跡)

(本丸)

2.加藤太光員一族の墓・・・恵那市明智町にある。源頼朝の重臣・加藤光員とその一族の墓がある。
 次の目的地である龍護寺に行く途中で見つけた。

3.龍護寺・・・恵那市明智町東山町1389-1にある。明智城主・遠山氏の菩提寺。遠山氏累代の墓がある。入り口右手には明智光秀の供養塔もある。

(明智光秀公御霊廟。御霊廟と書いて「おはか」と読ませるなんてオシャレだな)

(遠山家累代の墓。正面が累代の供養塔で、分家の遠山の金さんも合祀されている)

4.妙法寺・・・恵那市岩村町江戸町911にある。武田家の重臣で岩村城の城主だった秋山信友と一族の供養碑「まくら塚」がある。

(山門)

(まくら塚)

5.岩村城・・・恵那市岩村町城山3にある。1185年、加藤景廉によって築かれた。景廉の子孫・遠山氏が支配したが、戦国時代に入ると武田軍によって奪われる。その後、織田軍が奪回し織田家の重臣が城主を務めた。その後、城主を替えながら生き残り明治維新を迎えた。日本三大山城(大和高取城・備中松山城)の一つで、建物は取り壊されたものの石垣などが良好に残っている。
感想:久しぶりに行ったら前と違う城に来たような気分だった。城自体は何も変わっていなかったと思うが、多少なりとも城に詳しくなったおかげか石垣や虎口の状態など「こんなに立派な城だったのか」というのを再認識した。
 ただ相変わらずここの上り下りはきつい・・・。冬なのに汗だくになった。

(駐車場の手前で城主だったという説のある蘭丸さんらしき人がお出迎え)

(山頂の駐車場にある売店蘭丸。今日もお休み)

(分かりづらいけど虎口)

(石垣)

(霧ヶ井。この井戸に秘蔵の蛇骨を投げ込むと霧が城を覆い隠したという)

(藤坂の険。ここから山頂まで約700メートルの上り坂が続く)

(太鼓櫓)

 上の駐車場に駐めて降りてきたため、写真の順序が上から下となっています。
 ここが終わると次は岐阜市へ移動。カーナビをセットすると岐阜市まで90キロと出た・・・\(゚o゚;)/ なんという遠さだ・・・。考えていても道は縮まらないので、高速道路を使って岐阜市まで行った。

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