群馬県史跡巡り2006(2日目:高崎城・徳川忠長の墓・真田信之の霊廟)

 平成18年10月9日(月)、この日も7時頃にはホテルを出る。今回の最初は高崎市。高崎といえば・・・なんだっけ? 友達の影響で布袋寅泰しか思いつかない。それはともかく高崎市に着くと、高崎城に向かう。ここは移築された櫓などがある。あんまり関心がなかったのでさっと撮影して終了。

(高崎城乾櫓)

 次はこの高崎で非業の死を遂げた徳川忠長の墓がある大信寺に行く。門の前に行くが、閉まったまま。今日はお休み・・・?と思って通りがかった方に聞くと「自分で開けて入っていいよ」とのこと。中に入ってお寺の方の許可をもらうと忠長のお墓に参る。

(徳川忠長の墓)

 続いて安中市に向かう。ちなみに安中は『あんなか』と読む。ずっと『やすなか』だと思っていた。安中小学校に着くと、安中城の碑だけを撮って立ち去る。土塁とかあったらしいけど、別にいいよ、って感じだったので。

(安中城跡)

 次も同じ安中市の松井田町にある補陀寺に。ここは今回の合併で安中市になったらしいのだが、最近の地図でも松井田町だったり、安中市だったり、訳が分からんかった・・・。一度にどこもかしこも合併しすぎなんだよ。
 話を戻して、ここの目的地である補陀寺には北条氏の家臣・大道寺政繁の墓がある。近くに松井田城もあったけど、面倒で行かなかった。

(補陀寺から見た群馬の山。うまく言えないけど、群馬の山々は独特のものがあった)

 これで群馬県は終了。上信越自動車道を使って長野県に戻る。さようなら、群馬県。もう当分は行かないだろうなあ・・・TT
 それから長野県の小諸インターで降りて小諸城に向かう。ここは名所なのでさすがに賑やか。今回の旅行で初めて人がたくさんいるところに来たよ・・・。ここは当時の石垣や門が残っており、城好きにも楽しめると思う。ちなみにここの入り口はザルで、高校生のカップルが金も払わず入り「いい加減なここの仕組みが悪いんだよ」って言っていた。私は大人なのでお金をちゃんと払いましたよ。

(小諸城の石垣)

 そして駐車場の帰りに小諸名物の蕎麦を食べて出発。途中のインターで山に雪が積もっているのが見えた。ああ・・・今年ももう少しで終わりだね。

(信濃の山。何という山かは知りません)

 この時点でまだ時間が12時頃で余裕があったので、長野市の松代に向かう。長野インターで降りて、インターのすぐ側の八幡原史跡公園に行く。前に行ったことはあったんだけど、写真が良くなかったもんで。同じ場所を廻って写真を撮って終了。

(謙信と信玄がじゃれ合う像)

 そしてこれからまた近くにある典厩寺に行く。ここは名前で分かる通り、武田信繁の墓がある。ここも前に行ったので、ちょちょいと撮影して終了。

(典厩寺内にある一騎打ちの碑)

 このすぐ近くに話題になっている山本勘助の墓に行こうと思ったが、車を停めるところがなさそうだったのでやめた。
 でもってこれまた近くにある松代(海津)城へ。ここも昔行ったけど、改装工事中で入れなかった。だから今回初のようなもの。着くと六文銭のTシャツや真田オフ会のような人達がいて、人気があるなあ、と感じさせられた。肝心の城内はよく整備されており「ま、こんなもんでしょう」って感じだった。特に感想はなし。

(海津城跡の碑)

 ほいでまた近くにある長国寺に行く。ここは真田家の菩提寺で真田信之の霊廟や墓、幸村の供養塔などがある。霊廟や墓には入るのにまず受付でお金を払わないといけないので、受付に行く。そこで受付の方にここに葬られているという小川好安の墓の場所も聞く。無理かな~と思っていたら、あっさりと「ああ、小川さんね」と言われて案内していただいた。法名も控えていたのでばっちり分かった。それから真田家歴代の墓などお参りして終了。

(真田信之の霊廟)

 これにて今回の予定はすべて終了し、高速道路に乗って愛知県に帰りました。昼間の2時頃だったので、まだ余裕があったけど、あんまり無理するのもなあ~と思って。それに長野市内は新潟に行くときとかに行けそうだし。

本日(というか3日間)の感想
1.ガソリンが安かった・・・愛知県も(平成18年10月の時点では)かなり安い方で、近所も130円とかだが、群馬県(特に館林)は安く128円とかあった。長野県に戻るとやはりグンと値段が上がった。
2.カーナビが役に立った・・・めちゃめちゃ安いやつだけど、取りあえず付けてみた。効率よく回れたので、時間に余裕ができて良かった。でも、安物のせいか、たまにとんでもない道を選択するので、地図を見て確認するのは必要。

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群馬県史跡巡り2006(2日目:上泉信綱顕彰碑・力田遺愛碑・真田信吉の墓)

 平成18年10月8日(日)、朝6時に起きて7時前にはホテルを出発。今日は昼からミネコさんに会うのだが、それまでに軽く史跡巡りをする。手始めに近場の西林寺に向かう。ここは剣豪で有名な上泉秀綱(信綱)のお墓があるところ。本堂の奧にこぢんまりとした控えめの墓があった。それとは対照的に顕彰碑のでかいこと。

(上泉信綱顕彰碑)

 続いてはこれまたそんなに遠くない大胡城。戦国時代は大胡家、徳川家の関東移封後は牧野家が城主となったお城。駐車場が良く分からんかったので、裏手のお墓に停めて堀を通って山頂(ってほどでもないけど)に向かう。とにかく草ボウボウでまったく整備されていない。碑もない・・・。と思って反対側に出たら、駐車場も碑もあるがな。無駄な移動をしてしまった。

(大胡城、草ボウボウ)

 それからは前橋市の中心地に向かう。着いたのは竜海院。前橋城主・酒井家の菩提寺である。酒井家の墓地に行くと・・・お寺の皆さんがお掃除中。ちょっと(雰囲気的に)写しづらいなあ・・・と思いながら、挨拶すると「おはようございます。写真撮りに来たの?」って言われたので、そう答えると「まあゆっくり」みたいなことを言われて一安心。心おきなく写真を撮った。

(酒井家歴代の墓。中央のが下馬将軍・酒井忠清のものだったと思う)

 そしてそこからすぐ近くの前橋城に。現在は県庁になっている。碑と土塁の一部以外は何もなかった。ここはすぐに終了。

(前橋城趾に建つ群馬県庁)

 この時点で9時。まだ行くところはあるが、ミネコさんに会うまでには時間がありそうだな・・・。と思って群馬県立図書館に行き、1時間ほど資料を漁っていました。久々に資料漁りのために図書館に来たけど、やっぱりいいねえ・・・。
 コピーを済ますと、今度は前橋市の総社地区に向かう。ここは秋元長朝が治めた土地で、彼のことは知ったときから気になっていた。この地区での最初の目的地は光厳寺。秋元家の菩提寺で、また長朝が天狗岩用水という用水路を指導して造ったことを農民が称えて建てた「力田遺愛碑」なるものもある。

(力田遺愛碑)

 次は元景寺。ここには長朝の父・景朝の墓と、淀殿の墓があるらしい。行ってみてお墓参りしている方に聞くと「たぶん、あれだと思うけどお寺の方に聞いた方がいいですよ。朝日新聞の方?」と言われた。新聞記者とかしかここに来ないのかな・・・。それはともかく住職さんに聞くと「景朝の墓の右隣にあります。案内板もありますよ」と言われたので、そちらに向かう。が・・・長朝の側室としてのことしか案内板は書いてなかった。法名が住職さんに聞いたものと一緒だったので、これに間違いなかろう、と撮影。ちなみになんでこんなところに淀殿の墓があるかというと、長朝が大坂夏の陣で彼女を助けて総社まで連れてきたらしい。普通に考えてそれは不可能だと思うのだが・・・。

(淀殿の墓?)

 そんなこんなで前橋市の史跡は終了。ミネコさんに連絡を取って、ご実家に招待していただき昼食をいただきました。ミネコさんのお父さんが作っていただいたかも南蛮そば、美味しかったです。ごちそうさまでした! ミネコさんのお子さんとも久々にお会いできて、うち解けたし良かった・・・(最初は驚いて固まっていたけど)。それから2時間、ほとんどお父さんと大戦中の兵器についてなどの話をしていました(というか聞くのが大半でしたが)。ミネコさんに会いに行ったはずなのに・・・。
 そして14時頃、ご実家からかなり遠いにもかかわらずわざわざ渋川市の木曾三社神社に案内していただきました。ミネコさんのお気に入りの場所らしいです。ここは木曾義仲の家臣が創建したという神社らしい。変わった雰囲気の神社で原生林が社内にあり、ここからわき出る水は名水として有名だそうです。取りあえず飲んでみたけど普通の水とそんなに変わりないなあ・・・って顔をしてたら、ミネコさんとお父さんから「水だから味はないよ」って言われました。そりゃそうだ・・・ーー;

(木曾三社神社。見ての通り、入り口は普通だけど・・・)

 それからまたわざわざ遠い高速道路のインターまで案内していただいて、関越自動車道に乗って沼田に行く。行く前にミネコさんのお父さんに「渋川までと沼田は同じ群馬県でもまったく気候が違うから気をつけた方がいいよ」って忠告された。「こんなに晴れているんだから大丈夫だよ」って、いつも通り人の話を聞かず、のんきに沼田に到着すると・・・空は確かに晴れているけど、雨が降っている・・・。山陰と山陽みたいなもんか。
 それはともかく沼田と言えば、真田。ということで、真田信吉の墓がある天桂寺に行く。この時もまだ雨、写真撮るのが面倒になるなあ、と思っていたら、真田信吉の墓の後ろに虹が・・・。まさに沼田の気候が起こした奇跡の構図。

(真田信吉の墓。これは写真としても、かなりお気に入り。ただ手前が墓なので、普通の人には見せられないけど)

 次は定番の沼田城。う~ん、特に感想はなし。ちょこちょこ遺構はありましたよ。ちょいちょいと写真を撮影して終了。

(沼田城)

 この後に小田原征伐のきっかけとなった名胡桃城に行こうと思ったが、遠い・・・。面倒なので、前橋方面に戻って箕輪城に行った。やっぱり前橋方面に戻ると晴れてきた。
 箕輪城に着くと、もう夕方。ここもちゃっちゃと写真を撮って終了。

(箕輪城の堀切)

 それからまたまた厚かましくも夕食を呼ばれにミネコさんのご実家に行き、マトンのステーキをいただく。久しぶりに食べたけど、マトンいいね・・・。そしてまたしてもお父さんとアジアの歴史や、海外に行かれた際のエピソード、そしてカメラの話を聞く。
 2時間後の21時、帰ろうとすると木曾三社神社の水で作ったというお酒・関東の華をいただく。この名前は関ヶ原の戦い後、酒井重忠が前橋城をもらう際に「汝に関東の華をとらす」と言った有名な逸話からつけられたものである。しかもそれに加えてお菓子までいただきました。

(関東の華。後日、ロックにして飲みましたが、とても飲みやすく美味しかったです)

 それから昨日と同じホテルに戻って就寝・・・(-.-)Zzz
本日の感想:後日、仕事が始まった時に疲れを残さないため、本日は無理をしませんでした。
 しかし本当にミネコさんにはお世話になりましたm(._.)mm(._.)mm(._.)m あまりお話が出来ませんでしたが、また次お会いした時はゆっくりとお話をしましょう。

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群馬県史跡巡り2006(1日目:長学寺・織田家歴代の墓・館林城・榊原家歴代の墓)

 平成18年10月7日、今回は三連休の高知行きが駄目になったので、どこか行くところがないかなあ、と探していたところ、わりと近場でしかもまったく足の踏み入れていない群馬があることに気がつき、行くことにした。
 会社の人の忠告に従ってETCの深夜割引を使うため、深夜の2:30に家を出発。中央自動車道に乗って、ひたすらひたすら群馬県を目指す。途中で2時間ほど寝て体力を多少回復させ、朝の8時には群馬県に到着。
 最初に寄ったのが、富岡市。有名な富岡製糸工場のあるところである・・・が当然寄らず、七日市の領主だった前田家の菩提寺・長学寺に向かう。到着して知ったのだが、目的の前田利孝の墓はここにはなかった。ちょっとショックだったけど、歴代の墓を撮って去る。帰る際、前日の雨でぬかるんでいたので土がむき出しの駐車場でタイヤを取られてぶつけそうになった>< 怖かった・・・。

(長学寺)


 次は近くの甘楽町にある小幡陣屋。織田信雄系が治めた土地である。信雄さん、流れ流れて、ここまで来たのねTT
 小幡陣屋は現在は工事中で「こうご期待」って感じだった。ちょっと写してすぐに去った。

(小幡陣屋(楽山園))

 そしてすぐ近くの崇福寺に。ここにはその信雄系の人達の墓がある。精神的に辛い日々を送った信雄は晩年に何を思っていたんでしょうか・・・ーー;

(織田家歴代の墓)


 そして次の目的地である高崎市新町に向かうのだが・・・藤岡市に出る山越えのとんでもない道を選択してしまったせいでえらい苦労した・・・。カーブが続く細い山道で民家もなく、おまけにトラックが対向車として来るわで泣きそうになった><

(その一番上付近で見た風景)

 なんとか下って着いたのが、神流川古戦場跡。本能寺の変後に滝川一益と北条軍が激突した場所である。小牧・長久手の戦いを調べているのもあって私の中では一益は気になる人物の一人である。本能寺の変後の落ちっぷりはびっくりである・・・。最初、蟹江合戦前後の一益の動きを知ったとき「人は落ちるときはここまで落ちるのか」と思い、本当に涙が出そうになったTT 有能で人望も厚かったようなのに・・・。

(神流川)

 そして生まれて初めての埼玉県をちょっとだけ通ると群馬県伊勢崎市の天増寺へ。ここは伊勢崎の領主だった稲垣家の菩提寺である。門に行くと年配の女性の方が花を一輪摘んで去って行かれた。私と、その場にいた小学生二人、そして猫が「なんだろう・・・」と思ってそちらを見たまま固まってしまった。それはともかく中に入り、寺を廻っていると、赤石城主・那波氏の一族の墓があった。小田原攻めの時、上杉景勝の陣に城主が行った際に、攻めてきた敵を迎撃して亡くなった方の墓らしい。


(那波氏の墓)

 奧に行くと稲垣家歴代の墓に。墓が細長い・・・。とにかく圧倒された。
 そこを後にして今度は太田市に向かう。石見銀山のある島根県の大田市と名前が似ているので、そういう市があるのだけは知っていた。太田市でまず行ったのは東毛歴史資料館。建物の中は用がなかったけど、ここにある新田義貞の銅像が撮りたかったので。撮影してすぐに終了。

(新田義貞の像)

 そのすぐ近くにある徳川町に行く。名前の通り、徳川家発祥の地らしい。まあ作り話だとは思うけど・・・ーー;

(そこにあった満徳寺。資料館として再建されたので、中は新しい木の匂いが・・・)

 この頃が14時くらいだったが、この辺りから疲れが出てきた・・・>< でも、まだメインが残っていたので、がんばって館林に向かう。力を振り絞って運転・・・ってほどでもなかったけど、とにかく館林に着いた。

(館林城跡)

 そしてそして今回一番行きたかった榊原家の菩提寺・善導寺に行く。何で行きたかったのは自分でもよく分からない。榊原康政のこともほとんど知らないし、康勝のことも詳しくはない。ファンでもない。まあ理由なんかいいや。ということで感動の対面。

(榊原家歴代の墓)

 これで本日は終了。帰りに松平乗寿の墓に行き忘れたことを思い出したけど、疲れもあったのでもういいや・・・。取りあえずホテルのある前橋市に向かう。この際にちょっとだけ初の栃木県入りを果たし、足利市を通り過ぎた。帰りに17時になったので、いつもこの時間に車に乗っていると必ず聞くAVANTIを聞こうとするが・・・うまく受信できない。群馬では、やっていないのか・・・。今回とは全然関係ないけど、昔から大人になったらこういうバーで小粋な会話でもしながらお酒を飲んでみたいと思っていた・・・が叶わず。キャバクラやスナックはいいから、こういうところで飲んでみたい。
 なんて思っているうちにホテルに到着。食事を済ますと明日のために21時には就寝。
本日の感想:目的地はどこに行っても人がおらず、静かだった。昨日までは雨だったが、本日は晴れ、雲がそこそこあったので写真が映えた。
 しかし本当にETCをつけて良かった。割引使いまくり。完全に元を取った。

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