群馬県史跡巡り2006(2日目:上泉信綱顕彰碑・力田遺愛碑・真田信吉の墓)

 平成18年10月8日(日)、朝6時に起きて7時前にはホテルを出発。今日は昼からミネコさんに会うのだが、それまでに軽く史跡巡りをする。手始めに近場の西林寺に向かう。ここは剣豪で有名な上泉秀綱(信綱)のお墓があるところ。本堂の奧にこぢんまりとした控えめの墓があった。それとは対照的に顕彰碑のでかいこと。

(上泉信綱顕彰碑)

 続いてはこれまたそんなに遠くない大胡城。戦国時代は大胡家、徳川家の関東移封後は牧野家が城主となったお城。駐車場が良く分からんかったので、裏手のお墓に停めて堀を通って山頂(ってほどでもないけど)に向かう。とにかく草ボウボウでまったく整備されていない。碑もない・・・。と思って反対側に出たら、駐車場も碑もあるがな。無駄な移動をしてしまった。

(大胡城、草ボウボウ)

 それからは前橋市の中心地に向かう。着いたのは竜海院。前橋城主・酒井家の菩提寺である。酒井家の墓地に行くと・・・お寺の皆さんがお掃除中。ちょっと(雰囲気的に)写しづらいなあ・・・と思いながら、挨拶すると「おはようございます。写真撮りに来たの?」って言われたので、そう答えると「まあゆっくり」みたいなことを言われて一安心。心おきなく写真を撮った。

(酒井家歴代の墓。中央のが下馬将軍・酒井忠清のものだったと思う)

 そしてそこからすぐ近くの前橋城に。現在は県庁になっている。碑と土塁の一部以外は何もなかった。ここはすぐに終了。

(前橋城趾に建つ群馬県庁)

 この時点で9時。まだ行くところはあるが、ミネコさんに会うまでには時間がありそうだな・・・。と思って群馬県立図書館に行き、1時間ほど資料を漁っていました。久々に資料漁りのために図書館に来たけど、やっぱりいいねえ・・・。
 コピーを済ますと、今度は前橋市の総社地区に向かう。ここは秋元長朝が治めた土地で、彼のことは知ったときから気になっていた。この地区での最初の目的地は光厳寺。秋元家の菩提寺で、また長朝が天狗岩用水という用水路を指導して造ったことを農民が称えて建てた「力田遺愛碑」なるものもある。

(力田遺愛碑)

 次は元景寺。ここには長朝の父・景朝の墓と、淀殿の墓があるらしい。行ってみてお墓参りしている方に聞くと「たぶん、あれだと思うけどお寺の方に聞いた方がいいですよ。朝日新聞の方?」と言われた。新聞記者とかしかここに来ないのかな・・・。それはともかく住職さんに聞くと「景朝の墓の右隣にあります。案内板もありますよ」と言われたので、そちらに向かう。が・・・長朝の側室としてのことしか案内板は書いてなかった。法名が住職さんに聞いたものと一緒だったので、これに間違いなかろう、と撮影。ちなみになんでこんなところに淀殿の墓があるかというと、長朝が大坂夏の陣で彼女を助けて総社まで連れてきたらしい。普通に考えてそれは不可能だと思うのだが・・・。

(淀殿の墓?)

 そんなこんなで前橋市の史跡は終了。ミネコさんに連絡を取って、ご実家に招待していただき昼食をいただきました。ミネコさんのお父さんが作っていただいたかも南蛮そば、美味しかったです。ごちそうさまでした! ミネコさんのお子さんとも久々にお会いできて、うち解けたし良かった・・・(最初は驚いて固まっていたけど)。それから2時間、ほとんどお父さんと大戦中の兵器についてなどの話をしていました(というか聞くのが大半でしたが)。ミネコさんに会いに行ったはずなのに・・・。
 そして14時頃、ご実家からかなり遠いにもかかわらずわざわざ渋川市の木曾三社神社に案内していただきました。ミネコさんのお気に入りの場所らしいです。ここは木曾義仲の家臣が創建したという神社らしい。変わった雰囲気の神社で原生林が社内にあり、ここからわき出る水は名水として有名だそうです。取りあえず飲んでみたけど普通の水とそんなに変わりないなあ・・・って顔をしてたら、ミネコさんとお父さんから「水だから味はないよ」って言われました。そりゃそうだ・・・ーー;

(木曾三社神社。見ての通り、入り口は普通だけど・・・)

 それからまたわざわざ遠い高速道路のインターまで案内していただいて、関越自動車道に乗って沼田に行く。行く前にミネコさんのお父さんに「渋川までと沼田は同じ群馬県でもまったく気候が違うから気をつけた方がいいよ」って忠告された。「こんなに晴れているんだから大丈夫だよ」って、いつも通り人の話を聞かず、のんきに沼田に到着すると・・・空は確かに晴れているけど、雨が降っている・・・。山陰と山陽みたいなもんか。
 それはともかく沼田と言えば、真田。ということで、真田信吉の墓がある天桂寺に行く。この時もまだ雨、写真撮るのが面倒になるなあ、と思っていたら、真田信吉の墓の後ろに虹が・・・。まさに沼田の気候が起こした奇跡の構図。

(真田信吉の墓。これは写真としても、かなりお気に入り。ただ手前が墓なので、普通の人には見せられないけど)

 次は定番の沼田城。う~ん、特に感想はなし。ちょこちょこ遺構はありましたよ。ちょいちょいと写真を撮影して終了。

(沼田城)

 この後に小田原征伐のきっかけとなった名胡桃城に行こうと思ったが、遠い・・・。面倒なので、前橋方面に戻って箕輪城に行った。やっぱり前橋方面に戻ると晴れてきた。
 箕輪城に着くと、もう夕方。ここもちゃっちゃと写真を撮って終了。

(箕輪城の堀切)

 それからまたまた厚かましくも夕食を呼ばれにミネコさんのご実家に行き、マトンのステーキをいただく。久しぶりに食べたけど、マトンいいね・・・。そしてまたしてもお父さんとアジアの歴史や、海外に行かれた際のエピソード、そしてカメラの話を聞く。
 2時間後の21時、帰ろうとすると木曾三社神社の水で作ったというお酒・関東の華をいただく。この名前は関ヶ原の戦い後、酒井重忠が前橋城をもらう際に「汝に関東の華をとらす」と言った有名な逸話からつけられたものである。しかもそれに加えてお菓子までいただきました。

(関東の華。後日、ロックにして飲みましたが、とても飲みやすく美味しかったです)

 それから昨日と同じホテルに戻って就寝・・・(-.-)Zzz
本日の感想:後日、仕事が始まった時に疲れを残さないため、本日は無理をしませんでした。
 しかし本当にミネコさんにはお世話になりましたm(._.)mm(._.)mm(._.)m あまりお話が出来ませんでしたが、また次お会いした時はゆっくりとお話をしましょう。

写真の提供についてはこちらをクリック


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA