群馬県史跡巡り2006(1日目:長学寺・織田家歴代の墓・館林城・榊原家歴代の墓)

 平成18年10月7日、今回は三連休の高知行きが駄目になったので、どこか行くところがないかなあ、と探していたところ、わりと近場でしかもまったく足の踏み入れていない群馬があることに気がつき、行くことにした。
 会社の人の忠告に従ってETCの深夜割引を使うため、深夜の2:30に家を出発。中央自動車道に乗って、ひたすらひたすら群馬県を目指す。途中で2時間ほど寝て体力を多少回復させ、朝の8時には群馬県に到着。
 最初に寄ったのが、富岡市。有名な富岡製糸工場のあるところである・・・が当然寄らず、七日市の領主だった前田家の菩提寺・長学寺に向かう。到着して知ったのだが、目的の前田利孝の墓はここにはなかった。ちょっとショックだったけど、歴代の墓を撮って去る。帰る際、前日の雨でぬかるんでいたので土がむき出しの駐車場でタイヤを取られてぶつけそうになった>< 怖かった・・・。

(長学寺)


 次は近くの甘楽町にある小幡陣屋。織田信雄系が治めた土地である。信雄さん、流れ流れて、ここまで来たのねTT
 小幡陣屋は現在は工事中で「こうご期待」って感じだった。ちょっと写してすぐに去った。

(小幡陣屋(楽山園))

 そしてすぐ近くの崇福寺に。ここにはその信雄系の人達の墓がある。精神的に辛い日々を送った信雄は晩年に何を思っていたんでしょうか・・・ーー;

(織田家歴代の墓)


 そして次の目的地である高崎市新町に向かうのだが・・・藤岡市に出る山越えのとんでもない道を選択してしまったせいでえらい苦労した・・・。カーブが続く細い山道で民家もなく、おまけにトラックが対向車として来るわで泣きそうになった><

(その一番上付近で見た風景)

 なんとか下って着いたのが、神流川古戦場跡。本能寺の変後に滝川一益と北条軍が激突した場所である。小牧・長久手の戦いを調べているのもあって私の中では一益は気になる人物の一人である。本能寺の変後の落ちっぷりはびっくりである・・・。最初、蟹江合戦前後の一益の動きを知ったとき「人は落ちるときはここまで落ちるのか」と思い、本当に涙が出そうになったTT 有能で人望も厚かったようなのに・・・。

(神流川)

 そして生まれて初めての埼玉県をちょっとだけ通ると群馬県伊勢崎市の天増寺へ。ここは伊勢崎の領主だった稲垣家の菩提寺である。門に行くと年配の女性の方が花を一輪摘んで去って行かれた。私と、その場にいた小学生二人、そして猫が「なんだろう・・・」と思ってそちらを見たまま固まってしまった。それはともかく中に入り、寺を廻っていると、赤石城主・那波氏の一族の墓があった。小田原攻めの時、上杉景勝の陣に城主が行った際に、攻めてきた敵を迎撃して亡くなった方の墓らしい。


(那波氏の墓)

 奧に行くと稲垣家歴代の墓に。墓が細長い・・・。とにかく圧倒された。
 そこを後にして今度は太田市に向かう。石見銀山のある島根県の大田市と名前が似ているので、そういう市があるのだけは知っていた。太田市でまず行ったのは東毛歴史資料館。建物の中は用がなかったけど、ここにある新田義貞の銅像が撮りたかったので。撮影してすぐに終了。

(新田義貞の像)

 そのすぐ近くにある徳川町に行く。名前の通り、徳川家発祥の地らしい。まあ作り話だとは思うけど・・・ーー;

(そこにあった満徳寺。資料館として再建されたので、中は新しい木の匂いが・・・)

 この頃が14時くらいだったが、この辺りから疲れが出てきた・・・>< でも、まだメインが残っていたので、がんばって館林に向かう。力を振り絞って運転・・・ってほどでもなかったけど、とにかく館林に着いた。

(館林城跡)

 そしてそして今回一番行きたかった榊原家の菩提寺・善導寺に行く。何で行きたかったのは自分でもよく分からない。榊原康政のこともほとんど知らないし、康勝のことも詳しくはない。ファンでもない。まあ理由なんかいいや。ということで感動の対面。

(榊原家歴代の墓)

 これで本日は終了。帰りに松平乗寿の墓に行き忘れたことを思い出したけど、疲れもあったのでもういいや・・・。取りあえずホテルのある前橋市に向かう。この際にちょっとだけ初の栃木県入りを果たし、足利市を通り過ぎた。帰りに17時になったので、いつもこの時間に車に乗っていると必ず聞くAVANTIを聞こうとするが・・・うまく受信できない。群馬では、やっていないのか・・・。今回とは全然関係ないけど、昔から大人になったらこういうバーで小粋な会話でもしながらお酒を飲んでみたいと思っていた・・・が叶わず。キャバクラやスナックはいいから、こういうところで飲んでみたい。
 なんて思っているうちにホテルに到着。食事を済ますと明日のために21時には就寝。
本日の感想:目的地はどこに行っても人がおらず、静かだった。昨日までは雨だったが、本日は晴れ、雲がそこそこあったので写真が映えた。
 しかし本当にETCをつけて良かった。割引使いまくり。完全に元を取った。

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群馬県史跡巡り2006(1日目:長学寺・織田家歴代の墓・館林城・榊原家歴代の墓)」への4件のフィードバック

  1. >キヘイジさんへ
    神流川の戦いでも何度か北条軍を撃退しているので、短期間で良くまとめていたと思いますよ。
    ただ伊勢に戻ってからが・・・運がないというか、なんというか・・・。

    >三河さんへ
    ETC割引は知らないと面倒なことが多いですからね。

    >紫さんへ
    紫さんの書き込みを見て群馬県って行っていないなあ、って思ったもので。ありがとうございましたm(._.)m
    地元だから行かないってところがありますよね。「いつでも行けるところはいつまでも行かない」ってやつですね。私も山陰でたくさんありました。

    大館は通りましたよ。ちょうどこの辺りのコンビニで休憩しました。
    石田三成の娘・・・。確実に場所が分かっていれば行ってみたかったですね・・・TT

    8日はメジャーばかりであまり面白くはないかもしれません。近いうちに載せますので、またみてやってください。

  2. 筑後川さま、こんばんは。
    三連休は群馬にいらしていたのですね。お疲れさまでした。

    地元の私が行ったことがない場所まで行かれるとは・・・さすが筑後川さまです。
    私も滝川一益のことは群馬に縁のある人物として気になっているのですが、神流川古戦場には行ったことがありません。
    JR高崎線に乗って神流川を渡るとき、「ここが古戦場なんだ・・・」と思いながら眺めるだけです。

    東毛歴史資料館と満徳寺付近は、その先の大館というところに叔母が住んでいますので、よく通ります。
    大館には東楊寺というお寺があり、石田三成の娘で津軽信枚の側室になった辰姫のお墓があるそうです。私は見つかりませんでしたが・・・(汗)

    8日には、何処へ行かれたのでしょうか。続きを楽しみにしていますね。

  3. ETCをつけた人に割引を勧めても「めんどくさい」で一蹴されることばかりなので、最近はあまり人に勧めるのを辞めました(笑)もうすぐポイント2倍になるので嬉しいです!東中西日本最高です!

  4. 一益、一二年くらい統治してればまだ違ったんでしょうけど、結局、森も川尻もそれぞれの領地を維持できなかったわけで、そう考えると、一益の能力不足というよりは、徹底的にタイミングが悪かった、としか(笑)。

    景勝もちょっとだけ足跡を残してますね。

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