奥村栄頼

(おくむらながより)

生没年:?〜1631年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):摂津

明星高校
真田丸があったとされる大阪市天王寺区餌差町周辺(写真は明星高校)

 栄顕(しげあき)とも。奥村永福の三子。才智に優れていたため、前田利常に重用され権勢をふるい、ライバルであった横山長知が一時前田家を去ったのは、栄頼の策略だと言われている。
 1614年の冬の陣で真田幸村の策略に引っかかり、真っ先に真田丸を攻め銃撃を浴びて重傷を負った(真田丸の攻防)。それから次第に利常に疎まれるようになったため、前田家を去り(この時に親しかった本多政重を誘ったが断られている)、幕府に加賀藩を訴え出たが相手にされなかった。1631年4月4日、京都で寂しく生涯を閉じた。

管理人・・・真田幸村に挑発されて怒って攻撃したり、前田家を去った後幕府に訴えるなど、かなり気が短かったみたいですね。そんな栄頼のせいで奥村家は大騒ぎになりましたが、重鎮・永福がどっしり構えていたので、その後も重用されてます。前田家を去った後、本多正純松平忠輝の家臣に推挙しましたが、正純の弟・政重が前田家への影響を考え、それを取り消させています。

参考文献三百藩家臣人名事典大坂の役

UPDATE 2002年4月12日
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