奥村易英

(おくむらやすひで)

生没年:1571〜1643年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):備後

末森山古戦場碑
石川県羽咋郡宝達志水町竹生野の末森城跡に建つ末森山古戦場碑

 奥村永福の次男。末森城の戦い、小田原征伐、関ヶ原の戦いで活躍し、3千石の領主となった。1614年の冬の陣では弟・奥村栄頼と共に真田丸を攻め、負傷している(真田丸の攻防)。その怪我もあってか翌年の夏の陣では金沢城で留守をした。
 1616年に家老となり、それからも順調に出世し最終的には1万4千石の領主となる。1643年12月21日死亡。

管理人・・・前田家4代(前田利家・前田利長・前田利常・光高)に仕え、誰からも重用されています。よほどの名将だったんでしょう。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年4月17日
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