明應山光円寺(大内弘家(矢田太郎弘家)の供養塔)

●明應山光円寺
住所:山口県山口市大内矢田南3-11-36
駐車場:あり

 浄土真宗。毛利家の家臣に小川孫左衛門という侍がいたが朝鮮出兵に従軍の際、文禄5(1596)年正月15日に蔚山で討ち死にした(※年は違うと思われる)。息子の長蔵は父の菩提を弔うため出家し順念と名乗り氷上山興隆寺の光祐の弟子となる。順念は毛利輝元の夫人・清光院の意向により京都の西本願寺に行き修行して寛永18(1641)年に創建されたという(『光圓寺旧記』)。
 ただ光円寺 公式サイトでは令和12(2030)年を創建400年としており、『棯畑史』や『防長風土記』には永禄の頃に創建されたとあり正確な創建年代は不明である。

(山門)
山門

(鐘楼)
鐘楼

(本堂)
本堂

(親鸞の像)
親鸞の像

(大内弘家(矢田太郎弘家)の供養塔。弘家は鎌倉時代末期の武将で元寇などで活躍した。この辺りに屋敷があったことから墓が建っていると言われている)
大内弘家(矢田太郎弘家)の供養塔

参考文献:棯畑史、防長風土記、山口県寺院沿革史、大内氏史研究、現地の案内板

感想:交通量の多い県道21号(山口防府線)沿いにあるため右折で非常に苦労しました。遠回りでもその先の信号で曲がってから入った方が楽でした。
 光円寺さんでは大内弘家(矢田太郎)供養塔改修協賛者募集をされています。詳しくは光円寺 公式サイトをご覧ください。