亀ヶ崎城(東禅寺城)

住所:山形県酒田市亀ヶ崎1-3-60

 かつては別の地に建っていたが1466年の洪水で損壊したため、1478年に武藤(大宝寺)氏が現在地に築城した。やがて一族の前森(東禅寺)氏が城主となり、最上義光に内通して武藤氏を滅ぼし武藤氏の居城・尾浦城も手に入れる。しかし1588年の十五里ヶ原の戦いで前森氏は上杉景勝軍によって討ち取られ、当城には上杉家の家臣・本庄繁長や甘粕景継らが入った。
 1598年に志田義秀が城主となるが、1601年に最上義光の攻撃を受けて撤退。その後、義光の家臣・志村光安が入った。1603年、大浜海岸に約2.1メートルもの大亀が上陸したことを義光は吉事として東禅寺城を亀ヶ崎城に改名、これに合わせて大宝寺城も鶴ヶ岡城に改名している(縁起の良い鶴と亀という意味)。1622年、最上家が改易され酒井家が庄内地方を支配すると城代が置かれた。
 明治維新後は酒田県庁となったが山形県と合併すると建物は解体されている。現在、敷地の一部に酒田東高校が建っている。

(本丸と二の丸跡に建つ酒田東高校)

(城址に建つ亀城八幡神社)

(境内に奉納された亀)

(土塁跡)

感想:市内の円通寺には移築門があるそうです。


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