十五里ヶ原古戦場(東禅寺右馬頭の墓)

住所:山形県鶴岡市友江中野

 1587年、最上義光は大浦城主・武藤(大宝寺)義興を討ち、義興の養子となっていた本庄繁長の息子・義勝を敗走させて庄内地方を手に入れる。そこで1588年に越後の上杉景勝は家臣の繁長・義勝父子を庄内地方に侵攻させた。これを迎え撃ったのが義光の家臣・東禅寺義長と勝正兄弟だったが敗北。勝正は一矢報いるため、繁長を亡き者にしようと敵陣に斬り込むが返り討ちにあっている。
 その後の戦いでも義光は敗北し庄内地方を失った。取り戻したのは関ヶ原の戦い後である。

(古戦場碑と鳥居)

(鳥居の先を進むと建つ東禅寺右馬頭(勝正)の墓)

(右馬頭の墓と同じ敷地に建つ千八百余柱慰霊之塔。東禅寺右馬頭保存会が建てている。何の慰霊塔なのか良く分からなかった)

(右馬頭の墓からガソリンスタンドを挟んで建つ手引地蔵。合戦に関係あるものらしいが由来は分からなかった)

(全景)

感想:有名な古戦場にしてはあまり整備されていませんでした。車だと行くのに迷ってしまったので、案内板を設置するなどもう少し分かりやすくしてほしいです。


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