尼子再興戦と伯耆 その4(戦いの経緯3)

○毛利軍の反撃
 伯耆では順調だった尼子再興軍だが、出雲では月山富田城を落とすことができないという誤算が生じていた。それでも戦いを有利に進めていたが、1570年2月九州から引き返してきた毛利軍の主力に布部山の戦いで敗北。勢いを失っていく。
 この頃、伯耆でも尾高城主・杉原盛重と羽衣石城主・南条宗勝が城に戻り体勢を立て直そうとしていた。因幡も武田高信が反撃に転じている。

(布部山)

 1570年の伯耆の動きはよく分からない。前述した通り3月以降に八橋城と岩倉城を尼子再興軍が落とし、それを奪回しようと毛利軍が攻めているのが確認できる。

○参考文献など
・山中鹿介のすべて
・鳥取県史ブックレット 尼子氏と戦国時代の鳥取
・因伯の戦国城郭 通史編



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