遠江堀川城(徳川家康が撫で斬りを行った城)

●遠江堀川城
住所:静岡県浜松市北区細江町気賀
駐車場:なし
遺構:不明
標高:2メートル/比高:0メートル

 浜松市指定史跡。当時は小高い丘で周囲が湿地帯になっており南には浜名湖が迫り北には都田川の水を引き込んで、満潮時には船でないと渡れないようにしていたという。
 永禄10(1567)年頃、徳川家康の脅威に対抗するため今川氏に味方する土豪の竹田高正・尾藤主膳・山村修理などによって築かれた。永禄11(1568)年、家康が遠江に侵攻してくると一旦は落城して壊されたが、翌年の永禄12(1569)年に地元の一揆勢らが修築し立て籠もって抵抗する。だが家康の家臣である松平信一や榊原康政らの攻撃を受け1日で落城し、千人が戦死し捕らえられた七百人も獄門畷で処刑された。

(全景。周囲は埋め立てられ当時の面影はない。しかも「伝」のため、この場所が確定ではない)
全景

(中は小さな公園のようになっている)
公園

(首塚。碑は太平洋戦争後に建てられた。細江町中川に同じく首を埋め弔った円頓寺という寺があったが廃寺になっている。そこにあった首塚(?)がどうなったかは調べていない)
首塚

(昭和47(1972)年に建てられた城址碑)
城址碑

参考文献:静岡県の地名、細江町史 史料編7、細江町史 通史編 中、ハローナビしずおか 静岡県観光情報

感想:永禄12年の戦いでは大久保一族の大久保忠栄が銃弾により戦死し榊原康政が二箇所に傷を負うほどの激戦だったそうです。
 この手の水を利用した城は埋め立てられて遺構が残りづらいです。小高い丘でもあればいいのでしょうが、圃場や住宅整備の邪魔になるので削平されてしまうのは仕方のないところです。


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