修善寺を後にすると下田に向かう。その途中、天城越えをしていると滝のそばにある道の駅を発見。休憩がてら寄ってみる。
・浄蓮の滝・・・伊豆市湯ケ島892ー14。日本の滝100選。女郎蜘蛛の伝説がある。
感想:滝マニアとしては寄らない訳にはいかないでしょう。
(名物のわさびを使ったソフトクリーム。適度にわさびが効いていて悪くはないが・・・当たり前だけど普通にバニラだけ食べた方が美味しい)
12.深根城・・・下田市堀之内80。北条早雲が堀越公方・足利茶々丸を攻めた際、当城の城主・関戸吉信は茶々丸に味方した。そのため早雲に攻められ1498年に落城。この時、茶々丸も当城に籠もっており亡くなったといわれている。井戸跡などがあるが、個人宅にあるため見学はできない。
感想:見学できる範囲では遺構らしきものはほとんどない。この近くに茶々丸夫妻の墓と伝わっている宝篋印塔があるらしいが、探すのが大変そうだったので諦めた。
去年建てられた案内板があるのだが、風雨で文字が消えるということで本郭に住まれている方が倉庫に仕舞われていた。
13.宝福寺・・・下田市1-18-26。1559年の開基。1854年の下田が開港されると下田の仮奉行所となった。1863年、当寺に泊まっていた山内容堂を勝海舟が訪ね、坂本龍馬脱藩の罪を許してもらうように願い出て許可されている。
(唐人お吉の墓。お吉はアメリカ総領事・ハリスの看護師として仕えたが、すぐに解雇される。西洋人に仕えたことから世間の差別を受け酒に溺れた。小料理屋を開くがアルコール依存症のため上手くいかず倒産。最期は下田川に身投げをした)
(お吉の人形・・・だったと思う。深根城から当寺の途中にお吉身投げの場所を通ったが寄らなかった)
14.了仙寺・・・下田市三丁目12ー12。大坂夏の陣の時、徳川家康が眼病に苦しんでいたため、家臣・今村正長は身延山の日朝に祈願させた。その甲斐あって全快した家康は日朝に寺の建立を約束。家康の存命中には果たされなかったが、1635年に家光が祖父の約束を守って13石を寄進し、正長が当寺を建立し日朝を迎えている。
幕末には当寺でペリー提督と幕府の代表・林大学との間に下田条約が結ばれている。
感想:性風俗資料館もあったらしいのだが、時間が無くて行けなかった。
15.ペリー上陸の碑・・・下田市三丁目。下田公園下の海岸にある。1854年にペリー艦隊上陸を記念した碑。
16.下田城(鵜島城)・・・下田市三丁目。築城年代は不明。1588年、北条氏は豊臣秀吉の侵攻に備え箱根の伊豆山中城とともに海の防衛拠点として大改築が行なった。しかし1590年の小田原征伐で長宗我部元親らが率いる水軍に攻められ落城。現在は下田公園となり、天守台、二の丸、空堀などが残っている。
感想:北条氏の城らしく広大な空堀が残っている。
史跡巡りはこれにて終了。食欲もないくらい疲れていたのでホテルに行って軽く食事をした後、早めに寝た。
本日の感想:昔の区分から言えば当然なのかもしれないけど、伊豆地方は浜松市や静岡市と違って関東の雰囲気がするな。