浜松市北部史跡巡り2011(高根城・犬居城・天野氏の墓)

 3月6日(日)、5年振りにRさんと史跡巡りに行くことになった。城郭に詳しいのでいろいろとご教授いただくつもり(今はそれ以上に武具に詳しいようですが)。
1.高根城・・・浜松市天竜区水窪町地頭方。標高420メートルの山城。1414年、奥山金吾らが伊良親王の仮宮を奥山に設け、そこを守るために高根城を築いた。奥山氏は大永年間(1504~28)頃、今川氏の配下となり、北遠江の大半を支配する。
 桶狭間の戦い以降、今川氏が力を失うと今川氏・武田氏・徳川氏のどこに与するかで内部分裂を起こし、傍系が残り武田氏の傘下になったと推測される。その後、武田氏が大改修を行ない城代を置いたが、武田氏滅亡と共に役目を終え廃城になったと考えられている。堀切・曲輪などが残っており、櫓・門などが復元されている。
感想:信濃・遠江の国境沿いにある要害なので、インターからとにかく遠かった・・・。浜松の市街地に戻るより、飯田の市街地に行った方が早いくらい。

(二重堀切と三の曲輪)

(二の曲輪)

(二の曲輪に登るための梯子。高いところが苦手なので降りる際、腰が引けていた)

(全景。奥が本曲輪と井楼櫓)

(本曲輪から見た眼下の風景)


 高根城の駐車場に降りた時点で11時半だったので、南下する途中の道の駅で昼食を取った。そこで二人ともカツ丼を頼んだのだが、お店が忙しかったせいかRさんのどんぶりのフタを開けたらカツが入っておらずご飯だけだった・・・。すぐにカツを入れてもらった。

2.犬居城・・・浜松市天竜区春野町堀之内。1221年に起きた承久の乱後、山香庄の地頭に任ぜられた天野氏の居城である。天野氏は南北朝時代、北朝についた一族が勢力を拡大し、戦国時代には今川氏の家臣となる。桶狭間の戦い後は徳川家康に付くが、武田信玄からの圧力によって寝返る。この行為に激怒した家康によって攻められ落城。天野氏は城を追われた。空堀・堀切・曲輪などが良好な状態で残っている。
感想:城の遺構の説明をRさんに全部していただきました・・・。いつまで経っても城のことを覚えない私。写真を撮って満足しているからだろうな。

(全景)

(二の曲輪下にある腰曲輪・・・だったと思う)

(二の曲輪)

(本曲輪。右奥の物見曲輪に建つのが展望台)

3.瑞雲院・・・浜松市天竜区春野町堀之内992。718年、行基が茅屋(ぼうおく。かや・わらなどでふいた家)に菩薩像を安置し隋雲寺と自称したのが始まり。1492年、天野氏が創建し名を瑞雲院と改めた。北遠山家三ヶ寺の名刹。

(山門)

(参道と本堂)

(犬居城主・天野氏の墓)


4.三方ヶ原古戦場・・・浜松市北区根洗町。3ヶ月前に行ったばかりなので写真は無し。

5.犀ヶ崖古戦場・・・浜松市中区鹿谷町25-10。三方ヶ原の戦いで敗北した徳川軍は一矢報いるため、当日武田軍に夜襲をかけ犀ヶ崖に追い落とした。この戦いでの両軍戦死者の霊が宗円堂(現在は資料館になっている)に祀られ、霊を慰めるために毎年、遠州大念仏が行なわれている。

(犀ヶ崖公園の北から東にかけてある崖)

(碑)

(ねずみ小僧次郎吉の墓)


 それから渋滞する東名高速を通って帰った。

本日の感想:高根城の遠さが計算外だった・・・。そのため、予定の半分も行けなかった>< Rさん、今回は慌ただしかったですが、次回はゆっくりと廻りましょう。

写真の提供についてはこちらをクリック


浜松市北部史跡巡り2011(高根城・犬居城・天野氏の墓)」への2件のフィードバック

  1. RYO様

    こちらこそありがとうございました。

    いろいろありましたが、久しぶりに濃い史跡巡りと戦国話が出来て楽しかったです。
    次回の候補は思い着きましたが・・・RYOさんが当分忙しそうなので6月になってからですね。
    また連絡しますor連絡下さい。

  2. ありがとう&おつかれさまでした。
    いい天気で少し梅も咲いているところもありいい史跡めぐり日和でしたね。今度またよろしくお願いします。次回は、1泊くらいならなんとかなりますんで、お互いにあまり行ったことのないで刺激的なところをチャレンジしたいですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA