住所:島根県大田市大森町イ804
真言宗。寛保年間(1741~1744年)頃、大森代官所の役人・中場定政や月海浄印の発願で、石見銀山で働き亡くなった人々のために石窟五百羅漢の作成が始まった。この事業を石工・坪内平七とその一門が約20年の歳月をかけて完成させている。これに合わせて羅漢寺も建立された。寄進は地元の農民、当時の代官、田安宗武(八代将軍徳川吉宗の次男)など身分の貴賤を問わず様々な人が行っている。
(羅漢寺の山門。ここで500円を払うと羅漢寺と五百羅漢の見学ができます)
感想:羅漢寺の公式サイトには「五百羅漢および羅漢寺境内における写真撮影・ビデオ撮影につきましては、お断り申し上げます」とあったので、確認したところ「外観なら可能です」との許可を頂きました。