石見本城(石見高橋氏の拠点の一つ)

●石見本城(石見高橋氏の拠点の一つ)
住所:島根県邑智郡邑南町下田所

 当地を支配した石見高橋氏の拠点の一つだった。永禄年間に起きた尼子と毛利の石見銀山争奪戦のキーパーソン・本城常光との関係が指摘されているが詳細は不明。

(縄張図の曲輪群Ⅰの辺りにある土橋と曲輪。土塁も残っていた)
曲輪群Ⅰ

曲輪群Ⅰ

曲輪群Ⅰ

曲輪群Ⅰ

(掲載許可をいただいた縄張図が古いため載っていないが、書き加えた「竪堀」にあった四本の竪堀)
竪堀

(本丸の東にある曲輪群Ⅱ)
曲輪群Ⅱ

曲輪群Ⅱ

曲輪群Ⅱ

曲輪群Ⅱ

(本丸の南の腰曲輪)
南の腰曲輪

(本丸。山城の破城の跡が残存している希有な例らしい。削平地を削ったため連続堀切のようになっている。近くにおられた先生方に「土塁を削って戻せば直ぐに使えるのでは?」と質問したら「直ぐに戻せるかどうかではなく、壊しましたというアピールの意味合いが大きい」とのこと)
本丸

本丸

本丸

本丸

(本丸と二の丸との間にある曲輪。ちなみに本丸周辺の切岸はかなり急で、皆さん上り下りに苦労していた)
間

(二の丸。こちらも破城されている)
二の丸

二の丸

(二の丸から北側の曲輪と堀切を望む)
北側の曲輪と堀切を望む

(本丸や二の丸の南にある竪堀と堀切群)
竪堀

堀切群

(今度は戻って東に延びる曲輪群に行く。写真はⅢの曲輪)
Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

Ⅲの曲輪

(ⅣとⅤの曲輪)
ⅣとⅤの曲輪

ⅣとⅤの曲輪

ⅣとⅤの曲輪

ⅣとⅤの曲輪

ⅣとⅤの曲輪

(ⅤとⅥの間の堀切)
ⅤとⅥの間の堀切

ⅤとⅥの間の堀切

(Ⅵの曲輪)
Ⅵの曲輪

Ⅵの曲輪

(Ⅵの曲輪を降っていくと以前からあった北側の入口に出た。こっちは急なので東から行った方が良い)
北側の入口

(全景)
全景

感想:城の歴史についての詳しいことは『山陰の戦国史跡を歩く 島根編』を参考にしてください。
 最近、地元の方が東側のルートを整備してくださったので登りやすかったです。今回はツアーで参加したので自由に行動できず行けていない遺構がいくつかあります。でも再訪はないかな・・・。熊が出るし。

(縄張図)
縄張図



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