埼玉県史跡巡り2010(2日目前編:氷川神社・初鹿野昌久の墓・岩槻城)

 2010年11月21日(日)6時半、川越市のホテルを出発。

12.普門院・・・さいたま市大宮区大成町2-402。室町時代の開山。大成領主・小栗家の菩提寺で、新政府に処刑された小栗上野介の首塚もある。

(小栗一族の墓)


13.氷川神社・・・さいたま市大宮区高鼻町1-407。武蔵一宮。源頼朝・足利尊氏・太田氏・北条氏などの篤い崇敬を受ける。境内は約3万坪あり、高い格式を誇る。
感想:この後、県内のあちこちで末社を見ました。埼玉県・東京都・神奈川県に280ほどあるそうな。

(楼門)

(祓殿)


14.寿能城・・・さいたま市大宮区寿能町2-255。1560年、岩槻城の出城として築かれ、太田資正の四男・潮田資忠が城主となっている。小田原征伐で落城し廃城。現在は寿能公園となっている。周辺が住宅街が建ち並び遺構はない。
感想:駐車場がない上に周辺に駐める場所が無く困った。

(小田原征伐で戦死した潮田資忠の墓。寿能公園内にある)


15.万年寺・・・さいたま市見沼区片柳1-155。1509年に開山。江戸時代初期に水没したため、現在地に移転された。武田家の旧臣で徳川家康に仕えた初鹿野昌久(昌次)の墓がある。

(山門)

(初鹿野昌久の墓)

(馬場美濃守の娘・孝子の墓。昌久の妻のようだが・・・)


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埼玉県史跡巡り2010(2日目前編:氷川神社・初鹿野昌久の墓・岩槻城)」への4件のフィードバック

  1. >黙魚さん

    初めまして。ご指摘ありがとうございます。
    参考サイトを拝見しました。普門院説は否定されているようですね…。
    ただ、お寺の案内にも「諸説有り」となっているので、申し訳ないですがこのまま載せておきます。
    ご了承下さい。

  2. ブログを楽しく見せていただきました。
    さいたま市大宮の普門院には小栗上野介の墓はありません。あるのは4代目小栗忠政の墓とその分家の小栗仁右衛門家の墓だけ。「首塚」も怪しいものです。詳しくは次のHPを見るとよくわかります。
    http://tozenzi.cside.com/okubi.htm

  3. >朝生さん

    そっちは行っていないですねえ>< あまり良くないのかもしれないですが、私は一つの史跡をじっくりみないんですよね。次へ次へという感じで・・・。
    次回、行った時にじっくりと見てみます^^

  4. 忍城北側の東照宮裏にも、諏訪曲輪の土塁や水堀の跡が残ってますよ〜^^
    そちらは行かれましたか?

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