●肥前 名護屋城
住所:佐賀県唐津市鎮西町名護屋(字 大久保、赤玉毛)
駐車場:あり
遺構:曲輪、石垣、井戸跡
標高:83メートル/比高:20メートル
国指定特別史跡。名護屋城があった場所には松浦党の名古屋氏の居城・垣添城(垣副城)があったが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点として天正19(1591)年(天正18年説あり)に築城が開始され翌年に完成した。当地が選ばれた理由は朝鮮半島に近く名護屋浦や外津浦など入り江が多く停泊に最適だったためである。
当時は大坂城に次ぐ規模で20万人の大都市が形成されていたという。慶長3(1598)年、秀吉の死で朝鮮出兵が終わると唐津の領主・寺沢広高に与えられた。広高は唐津城の築城の際、名護屋城の建物を移築するが城壁などは残している。だが寛永14(1637)年に島原の乱が起こると、広高の息子・堅高は一揆などに利用されることを恐れ石垣を壊して城番を置いた。
(駐車場と名護屋城博物館の間にあった大手口前井戸跡。場所は下にある概略図を参照)
(大手口付近と登城坂。入城料は無料だが整備のために寄付金(100円だったかな?)を払うとパンフレットをもらえる。下の概略図は発行元に許可を取って載せている)
(東出丸。ここでは動画を撮りながら話している若い女性がいた。ここ数年、観光地でそういう方が増えたなあ。時代ですな)
(馬場。等間隔で崩れている石垣があって破城跡かなと思ったらそうだった)
(遊撃丸。文禄2(1593)年、明国から使節として来日した沈惟敬(遊撃将軍)の宿舎があった)
参考文献:九州の名城を歩く 佐賀・長崎編、佐賀県の地名、現地の案内板、名護屋城跡ガイドマップ
感想:ゴールデンウィークに行ったので、とにかく人が多かったです。ここは景色がいいので天守がないですが家族連れでも問題ないでしょう。
ここでは飽きるくらい石垣を見られました。石垣好きにはたまらん城だと思います。