住所:大阪府高槻市城内町2
14世紀前半、入江春則が居城を構えたのが始まり。1569年、和田惟政が入江氏を滅ぼし高槻城主となったが、惟政の没後、息子・惟長が家臣の高山友照・右近父子によって追放されてしまう。
1585年、右近が播磨明石に移封されると豊臣氏や徳川氏の直轄地となった。1615年以降、内藤氏・岡部氏など城主が何度が入れ替わった後、1649年に永井氏が城主となり明治維新を迎えている。
1874年、京都~大阪間の鉄道建設に伴い建物は破却され石垣の一部が利用された。現在は高槻城趾公園として整備され二の丸跡には高槻市立しろあと歴史館が建っている。
(元工兵第四聯隊の営門。1909~1945年までここに兵舎が存在した)
感想:近くの槻の木高校に遺構があったようですが、時間がなかったため公園を廻って立ち去りました。