野見神社(永井神社)

住所:大阪府高槻市野見町6ー6

 祭神は須佐之男命・野見宿禰命。宇多天皇の時代、病が流行り多くの死者が出た際「社殿を造り、牛頭天王を祀れば病が治まる」というお告げがあったため、牛頭天王社を建てたところ病の流行が終息した。その後、高槻城主だった入江氏や和田氏から崇敬されたが、キリシタンの高山右近が社殿を破壊して社領を没収したため、神体を山城国に避難させている。
 1615年、内藤信正が高槻に移封されると社殿を再建し社領を寄進した。1649年、永井氏が高槻城主になると明治維新まで永井氏の庇護を受けている。明治に入り野見宿禰命を合祀し社名が野見神社に改められた。

(鳥居)

(拝殿?)

(野見神社の境内に建つ永井神社の唐門。1793年、永井直信が初代藩主・直清を祭神として創建した)

(永井神社の拝殿)

(永井先公遺愛碑)

感想:毎年4月24日に永井氏所縁の方々が永井神社に参拝した後、高槻市居合道連盟による奉納演武が行われるそうです。遺愛碑の近くで居合・・・、いや何でもないです。


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