住所:新潟県魚沼市下倉
築城年代は不明。1578年の御館の乱では城主・佐藤平左衛門が上杉景勝に味方したため、栃尾城の本庄秀綱らに攻められたが撃退している。1598年、景勝が会津に移封されると堀秀治が越後に入り、当城にも秀治の家臣・小倉主膳正が入った。関ヶ原の戦いでは景勝の意を受けた旧臣達が一揆を起こし下倉山城を落としている。しかしすぐに秀治の軍に奪回され、その後廃城となった。
現在は関越自動車道のトンネルが通っているが曲輪跡は残っている。
感想:本丸までの道が悪路だと聞いていたので、登るのが面倒になり碑だけ写して帰りました。