住所:茨城県常陸大宮市北町
鎌倉時代の初め、河崎(平)頼幹が築城したと伝わるが定かではない。その後、大塚豊前守や小貫氏が城主となったが、1529年に佐竹義篤の弟・宇留野義元が当城を攻略して城主となり部垂氏を名乗る。しかし義篤と義元の間で争いが起こり、1540年に城が落とされ廃城となった。
感想:「へたれじょう」という名前が気になって立ち寄りました。
住所:茨城県常陸大宮市北町
鎌倉時代の初め、河崎(平)頼幹が築城したと伝わるが定かではない。その後、大塚豊前守や小貫氏が城主となったが、1529年に佐竹義篤の弟・宇留野義元が当城を攻略して城主となり部垂氏を名乗る。しかし義篤と義元の間で争いが起こり、1540年に城が落とされ廃城となった。
感想:「へたれじょう」という名前が気になって立ち寄りました。