兵庫県史跡巡り2010(1日目前半:妙勝寺・白巣城・洲本城・江国寺)

 2010年7月10日(土)、用があったので連休をもらって実家に戻ることにした。その前にかなり寄り道して史跡巡りを・・・。今回はいつも四国に行く際に通り過ぎるだけの淡路島を回ってみることにした。

1.妙勝寺・・・兵庫県淡路市釜口1163。法華宗の寺。1336年、足利尊氏が京から九州に逃れる途中、ここに立ち寄り「妙勝」という名前が戦に勝利を得る前兆だと喜んで太刀を奉納した。歴代の淡路藩主からも崇敬されている。
感想:たまには戦国とは違う時代も・・・。

(大クスノキ。尊氏の家臣が楠正成にかけて幹に斬りつけて二つに分かれたという伝承がある)

(歌碑。この寺で尊氏が詠んだ「今むかふかたは明石の浦ながら まだ晴れやらぬわが思ひかな」という歌が刻んである。ネットで調べると神戸市の神社で詠んだようだが・・・)


○たこせんべいの里・・・淡路市中田4155番1。淡路島の観光名所。人でごった返していた。8歳くらいの子供がわさびせんべいの試食をして「美味しい!」という言葉を残して去っていったのが印象に残っている。最近の子供はわさびも大丈夫なのか・・・?

2.白巣城・・・洲本市五色町鮎原字三野畑。羽柴秀吉の淡路制圧の際、最後まで抵抗した安宅冬秀の城。土塁などが良好に残っている。
感想:らしいが雑草だらけで何がなんだか分からなかった。曲輪と本丸はさすがに分かったが・・・。駐車場までの道も荒れ放題で途中に倒れていた木を自力でどかした進んだくらい。蛇もいたので早々に退散した。ここは冬以外は危険だと思う。案内板などはしっかりしているだけに残念。

(本丸跡にある祠)


3.由良成山城・・・洲本市由良町由良成ヶ島。淡路領主・池田忠雄によって成ヶ島に築かれた城。忠雄が備前に移され蜂須賀家の支配下となった後もしばらく淡路の拠点として栄えたが、寛永年間に洲本に城が移され廃城となる。
感想:対岸から撮影して終わった。

4.由良要塞・・・洲本市由良生石。幕末に築かれた台場が最初で、その後、紀淡海峡防衛のため多数の砲台を設置した要塞となる。第二次世界大戦終戦まで使われたが、その頃は完全に時代遅れとなっていた。現在、生石砲台跡は公園として整備されている。
(紀淡海峡。晴れた日には紀伊半島まで見渡せる)

(第一砲台跡)


5.江国寺・・・洲本市栄町3丁目3-19。徳島藩の家老で洲本城代だった稲田氏歴代の墓所がある。明治に起きた庚午事変の犠牲者の招魂碑もある。

(稲田氏墓所)

(本堂)

6.洲本城(上の城)・・・洲本市小路谷。1500年代初め、安宅氏によって築城された。その後、仙石秀久・脇坂安治が城主となる。由良成山城が築かれると廃城となった。石垣などが残っている。
感想:車で山頂に行けるので楽。北にある大浜公園の辺りから登ると「登り石垣」とやらが見られるらしいがパスした。

(模擬天守。近くで見ると驚くほどしょぼかった。そしてどこから撮っても木が邪魔になった)

(模擬天守内部)

(模擬天守から見た洲本市街)

(本丸虎口)


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兵庫県史跡巡り2010(1日目前半:妙勝寺・白巣城・洲本城・江国寺)」への2件のフィードバック

  1. >楠七郎さん

    いえ、普通の観光案内に載っているようなことですので^^;
    それに楠七郎さんは楠正成がご専門ですし。
    (私も尊氏のことはほとんど知らないんですが)

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