名胡桃城(名胡桃事件の舞台)

住所:群馬県利根郡みなかみ町下津

 明応年間(1492年~1501年)頃、沼田景久の子・(名胡桃)景冬が築城したと伝わる。当地は越後や信濃への道が近い要衝であった。天文年間(1532~1555年)、北条氏によって城が奪われ傘下となる。1560年、上杉謙信が上野に侵攻した際に攻略されたが、1578年に御館の乱が起き上杉氏の勢いが衰えると同氏の支配を離れ、北条氏と武田氏(武田氏滅亡の後は家臣の真田氏)の争乱の舞台となった。
 1589年、天下人・豊臣秀吉が沼田領の内、名胡桃城は真田氏、沼田城は北条氏と決めた。しかし沼田城代・猪俣邦憲が名胡桃城を奪取したため秀吉の逆鱗に触れ小田原征伐のきっかけとなったのは有名である。1590年、小田原征伐で北条氏が滅亡すると廃城となった。
 城は利根川・赤谷川の合流地点の段丘上に築城されている。

(駐車場の近くに建つ名胡桃城案内所。16時過ぎに行ったら閉まっていた…。残念)

(丸馬出し)

(丸馬出しと三の丸の間にある三の丸堀)

(三の丸虎口。う~ん、どこら辺が虎口なのか不明)

(三の丸と二の丸の間にある二の丸堀)

(二の丸にある食い違い虎口。こちらも良く分からない)

(二の丸と本丸の間にある本丸堀)

(二の丸と本丸を繋ぐ土橋)

(本丸に建つ城趾碑)

(同じく本丸に建つ城趾碑その2。徳富蘇峰の筆)

感想:利根川沿いの高台にあるため、沼田城から敵が来た際はすぐに分かったのではないのでしょうか。


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