上野箕輪城(長野業政の居城)

住所:群馬県高崎市箕郷町西明屋(東明屋)

 1500年頃に長野業尚によって築かれ、以後、長野氏の居城となる。長野氏は関東管領・山内上杉氏に仕えるが、山内上杉氏は北条氏によって次第に衰退し1552年には上杉謙信を頼って越後に逃れている。この期を逃さず武田信玄が西上野に攻め込んで来るが、長野業政の抵抗により容易に進まなかった。しかし業政が亡くなり業盛が継ぐと勢いを失い1566年に箕輪城が落ちている。
 その後、武田氏を滅ぼした織田信長の家臣・滝川一益、一益を上野から追い出した北条氏の一族・北条氏邦が入り、1590年の小田原征伐後は徳川家康の家臣・井伊直政が入った。1598年、直政が高崎城を築いて居城を移したため、廃城となる。

(二の丸)

(二の丸と本丸の間の堀)

(本丸門馬出し)

(本丸)

(本丸の土塁)

(城趾碑)

(御前曲輪)

(箕輪城将士慰霊碑)

(井戸)

(御前曲輪北堀)

(新曲輪)

(搦手口)

感想:城の規模が大きすぎて時間が無くなり三の丸や蔵屋敷には行けませんでした。


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