東濃史跡巡り2011(岩村城・妙向尼の墓・美濃金山城)

 2011年6月18日(土)、前日に突然友達に誘われて東濃地方に行くことになった。

1.岩村城・・・岐阜県恵那市岩村町城山。1185年、加藤景廉によって築かれた。景廉の子孫・遠山氏が支配したが、戦国時代に入ると武田軍によって奪われる。その後、織田軍が奪回し織田家の重臣が城主を務めた。明治維新で建物は取り壊されたものの石垣などが良好に残っている。

感想:2009年に行っているので案内をしただけ。途中で土砂降りになったため、下から登るのは断念し車で本丸まで上がった。本当は下からじっくり案内したかったのに残念。

(太鼓櫓)

(本丸埋門)

(駐車場と売店蘭丸)

(岩村城歴代将士慰霊碑)


 続いて可児市の兼山に移動。まずは蘭丸亭で野戦なべを食す。2006年に来た時にはなかったバイキングが付くようになった。『板東リサーチ』で兼山地区が取り上げられた時はお客さんが多くて大変だったらしい。

 その後、蘭丸のキーホルダーやお酒が欲しくて売店に寄る。ここでも『板東リサーチ』の話が出た。自分たちがどこから来たのか話していないのに『板東リサーチ』の話題が出るところを見ると、東海地方のローカル番組だってことを認識していないんじゃあないだろうか。

2.常照寺・・・岐阜県可児市兼山580。森可成の妻・妙向尼と妙向尼の父・林常照の墓がある。

(山門。最近、建て直されたようだ)

(左が妙向尼、右が林新右衛門常照の墓碑)

3.可成寺・・・岐阜県可児市兼山596。1570年、近江宇佐山で戦死した可成の菩提を弔うため、息子・長可が創建。
感想:長可・蘭丸らの墓が2010年7月の土砂崩れのため倒木などで埋まってしまったと聞いていたので、どうなっているのか心配だったが復旧していて一安心。

(蘭・坊・力の三丸の墓)

(2006年当時の墓)

4.美濃金山城・・・岐阜県可児市兼山。斎藤道三の命を受けた斎藤正義が当地に烏ヶ峰城を築いたのが始まり。1565年、織田信長が美濃を抑えると重臣・森可成が入り、以後、森忠政が信濃海津城に移封されるまで森氏三代の居城となる。

(展望台から見た「蘭丸ふる里の森」。雨で景色が残念なことになっていた)

(晴れていたらこんな感じ)

(三の丸門跡)

(大手門の土台石)

(天主台西南隅石)


 これにて終了。愛知県に帰った。

本日の感想:梅雨だから仕方ないけど、晴れた日に友達を案内したかったな・・・。

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