称念寺(新田義貞墓所)

住所:福井県坂井市丸岡町長崎19ー17

 時宗。721年、泰澄が創建する。一時衰退したが、1290年に他阿真教が中興し時宗の念仏道場となった。1338年、新田義貞が越前の燈明寺畷で戦死すると敵将・斯波高経のはからいで当寺に埋葬される。
 1458年、室町幕府8代将軍・足利義政は将軍家の祈祷所と定め寺領を寄進した。1465年、後花園天皇の綸旨で天皇家の勅願寺となる。
 江戸時代は徳川家の先祖・義貞の墓所ということで福井藩主・越前松平家が手厚く保護している。

(山門)

(境内。左手に見える灯籠は新田義貞墓所の入り口)

(鐘楼)

(本堂)

(二重塔。二重っていうのは初めて見た気がする)

(芭蕉が「月さびよ 明智が妻の はなしせん 」と明智光秀のことを詠んだ歌が刻まれている句碑。伝承では1562年に光秀夫妻は当寺の門前前で寺子屋を開いたという)

(義貞墓所入り口に建つ唐門)

(義貞墓所。1837年の五百回忌の際、越前の藩主・松平宗矩が古い墓石を埋めて高さ2.6メートルの五輪塔を建てている)

感想:時宗の寺を参詣した記憶がないです。忘れているだけだと思いますけど。


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