永平寺(曹洞宗大本山)

住所:福井県吉田郡永平寺町志比5ー15

 曹洞宗永平寺派の総本山。中国で悟りを開いた道元は帰国後、京都で仏法を説いていたが、1243年に波多野義重の所領に招かれ越前に移り住む。翌年、大仏山の中腹に寺を建立し、1246年に永平寺と寺号を変えた。道元は門弟と共に当寺で修行に励んだが、体調を崩し京都に戻るとそのまま亡くなっている。その後も永平寺は座禅修行の寺として栄え、現在でも70余りの建物が建ち並ぶ大寺院である。

(入り口)

(参道)

(瑠璃聖宝閣)

(ここから入って建物が見学出来る。もちろん有料)

(傘松閣内の広間)

(1749年に再建された寺の中で最古の建造物・山門)

(中雀門と仏殿。仏殿は宋の時代の建築様式を模している)

(1843年に改築された法堂(はっどう)。朝のお勤めなどに使われる)

(法堂から仏殿の方面を望む)

(大光明蔵)

(1881年に改築された道元の霊屋・承陽殿(奥に少しだけみえる建物)。歴代住職の位牌や、道元を越前に招き永平寺を開基した波多野義重の位牌がある)

(結城秀康(墓には徳川秀康と刻んであった)の母の墓。承陽殿と承陽門の間に建つ。1879年に承陽殿が被災した際、墓も被害を受けたため翌年に建て直された)

(瑞雲閣)

(松平家廟所)

(門前町で買ったお土産・鬼作左。ウケ狙いではなくお店の人から一番美味しいと勧められたので購入した)

感想:結城秀康の母の墓がなぜここにあるのかお寺の方に聞いたのですが、上の方が全部行事に出られており修行僧の方しかおられず詳しいことが分かりませんでした。
 とにかく広かった・・・。歩き疲れてしまいました。
 戦国時代には一向一揆によって全焼したという悲しい歴史もあるようです。


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