最恩寺(穴山勝千代の墓)

住所:山梨県南巨摩郡南部町福士23502

 臨済宗妙心寺派。平安時代の創建で当初は天台宗だったが、応永年間(1394~1427年)に立翁が臨済宗として再興した。戦国時代には武田信玄や穴山氏の庇護を受けている。
 穴山信君の息子・勝千代の画像を所蔵している。

(山門?)

(本堂。境内には武田信玄の寄進により方丈などが整備されたが1685年に焼失している)

(焼失を免れた唯一の建造物・仏殿。国の重要文化財に指定されている)

(穴山勝千代の墓)

感想:地元の方の話によると仏殿は釘を一本も使っていないらしいです。


写真の提供についてはこちらをクリック




身延山久遠寺(日蓮宗総本山)

住所:山梨県南巨摩郡身延町身延3567

 1274年、佐渡での流罪を赦された日蓮は、甲斐波木井郷を治めていた波木井(南部)実長に請われ身延山に入り草庵を建てた。1282年、常陸に向かう途中、武蔵で亡くなったが遺言により遺骨は身延山に埋葬される。一時衰退したが、室町中期に日朝の尽力により再興。甲斐を支配した武田氏の崇敬を受け、江戸時代には徳川家康の側室・お万の方が帰依している。

(駐車場からエレベーターを使って本堂に直接行ける。ロープウェイじゃなくてエレベーターね)

(エレベーターからの眺め。乗るのに料金はかからないが、お気持ちを入れる浄財の箱が設置してある。礼儀として入れましょう)

(着いたらさっそく見える本堂)

(五重塔)

(大鐘。お万の方の寄進によって鋳造されたもの)

(日蓮の像を祀っている祖師堂)

(開基堂)

(日蓮の舎利を安置している御真骨堂。尾張の信徒によって1881年に建てられた)

(法喜堂。1608年、豊臣秀次の母・日秀尼が息子の菩提を弔うため建立した。現在の建物は1875年の焼失後に再建されたもの)

(甘露門)

感想:時間がなかったため駆け足で見て廻った上に工事中の建物も多かったので、一部しか見られませんでした。それでも大伽藍には圧倒されました。もう一度来てゆっくり見て廻りたいです。


写真の提供についてはこちらをクリック




武田信玄公墓所

住所:山梨県甲府市岩窪町

 1573年、武田信玄は亡くなる直前に3年間の秘喪を命じた。家督を継いだ勝頼は命を守り、1576年に重臣・土屋昌次の邸内で荼毘に付し恵林寺に埋葬。ここ岩窪の墓所は土屋氏の邸跡で、後世これを魔縁塚と呼んで地元の者は恐れて近づかなかったという。
 しかし1779年、甲府代官・中井清太夫が「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」と刻んである石棺を発掘したため、埋め直して幕府に届け信玄の墓と定めた。この時、武田家旧臣の子孫達が石碑を建てたと伝わっている。

(入り口)

(墓)

コラム:河尻塚がすぐ近くにあります。


写真の提供についてはこちらをクリック