大雲山日頼寺(毛利元就の菩提所)

●大雲山日頼寺
住所:山口県下関市長府侍町1-10-1

 臨済宗。元は貞和4(正平3、1348)年に瑞雲が開いた天台宗の小比叡山極楽寺だったという。中世に毛利氏が長門を支配した時代には54石の寺領があった。長府藩の3代藩主・綱元は延宝3(1675)年に客殿を建立し、宝永元(1704)年には鐘楼堂を建立した。

(山門)
山門

(参道)
参道

(本堂)
本堂

(小比叡山 鎮守 山王社。かつて境内に鎮守社の小比叡(こびえ)社があり長門の得善保(周南市)に社領があった。大内義弘が応永6(1399)年に出した極楽寺に社領の管理などに関する文書が残っている)
小比叡山 鎮守 山王社

(日頼寺から長府の街並みと瀬戸内海を望む。中央の島は干珠島で壇ノ浦の戦いでは源氏が本陣を構えたらしい)
長府の街並みと瀬戸内海

感想:境内(?)に仲哀天皇殯斂地なるものがあったそうですが、現地の案内板を斜め読みしただけで気が付かなかったので行ってません。



阿川八幡宮(大内氏と阿川毛利家から庇護を受けた神社)

●阿川八幡宮
住所:山口県下関市豊北町阿川3710

 祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。社伝では漁師が八幡大神を網で捕らえたが怪しんで何度も捨てたが揚がってきて「我は八幡大神だ。そこの浜辺に小さな祠を建てて祀れ」との神託を告げたため、神宮崎(阿川八幡宮の北に800メートルの場所にある岬)に祠を建立したのが始まりだという。
 戦国時代は大内氏や毛利氏の崇敬を受けたという。

(入口)
入口

(延宝6(1678)年に建立された鳥居。長州藩内には花崗岩を加工する技術を持っている者がいなかったため、大坂にいた石工・九郎兵衛に頼んでいる)
鳥居

(拝殿など)
拝殿

(本殿)
本殿

(天満宮)
天満宮

(興義隊士髻塚。四峡戦争で小倉口で戦った興義隊の戦死者の髻(たぶさ。髪の毛を頭上に集めて束ねたところ。もとどり)が埋めてある。昭和51(1976)年に建てられた)
興義隊士髻塚

(八栄社。阿川毛利家との関係が分からなかった。もしかして先祖の吉川元春が再建した広島県北広島町の八栄神社を勧請したとか・・・)
八栄社

感想:八幡大神が網に捕まった話は『防長風土注進案 第18巻』に載っていたのですが、どんな姿かは記載がなく「八幡太神ハ往昔浦ノ漁夫是ヲ網ノ中ニ獲タリ」とだけしかなかったです。子人の姿でもしていたのでしょうか。式年祭では最初の社地である神宮崎に神幸があるそうです。
 イヌマキ巨樹群は興味がなかったので見ていません。



八坂神社(祇園社。大内氏や長州藩から庇護を受けた神社)

●八坂神社(祇園社)
住所:山口県長門市仙崎祇園町1342

 祭神は奇稲田媛命、素戔嗚尊、蛇毒気神。霊亀2(716)年、遣唐使の吉備真備が唐で素戔嗚尊の霊験を感じ、帰国後に聖武天皇の勅宣により青海島(当社の北側の島)の王子山に創建されたと伝わる。建保4(1216)年、大風によって倒壊したため洲崎(同市仙崎洲崎町)に移転した。寛文12(1672)年に瀬戸崎の大火で被害を受けたため、延宝6(1678)年に長州藩の費用で現在地に移転している。

(南の鳥居)
南の鳥居

(境内の稲荷神社)
稲荷神社

稲荷神社

(昭和12(1537)年に寄進された手水舎)
手水舎

(東の鳥居。こちらが正面だった)
東の鳥居

(このミニ鳥居が何なのか分からんかった)
ミニ鳥居

(拝殿とその中)
拝殿

拝殿

(幣殿と本殿)
幣殿と本殿

感想:駐車場が分からず神社の周りをグルグル回っていた記憶があります。