高貴山極楽寺(唐櫃城主・佐々木氏、美作の矢筈城主・草刈氏の祈願所)

●高貴山極楽寺
住所:鳥取県八頭郡智頭町大背860(字 寺山)
駐車場:不明

 真言宗。本尊は十一面観音菩薩。大化2(646)年、インドから来た僧・法道が当地に登ったところ、高貴徳王菩薩が現れたことから開基したと伝わる。神亀2(725)年、行基が訪れ十一面観音菩薩と薬師如来を安置して12の僧坊を建立し極楽寺と号したという。天長6(829)年、空海の弟・真雅が逗留し密教の教えを広め号を金剛蔵寺に改めたと伝わる。
 戦国時代は唐櫃城主・佐々木氏、美作の矢筈城主・草刈氏の祈願所だった。羽柴秀吉が因幡に侵攻してくると僧兵が抵抗したが焼失する。だが、和歌山県高野山往生院谷の慈眼院から僧侶が来て再建されたという。寛文10(1670)年に極楽寺の号に復した。近世には竹内村(智頭町早瀬)から河津原村(智頭町河津原)にかけての地区に檀家を有している。

(入口)
入口

(本堂)
本堂

本堂

本堂

(鐘楼)
鐘楼

(僧の像。誰なのか確認を忘れた)
僧の像

(地蔵や供養塔など)
地蔵や供養塔

参考文献:鳥取県の地名、いなば・ほうきの墓碑めぐり

感想:法道の開基塚に参拝するのを忘れました・・・。
 この境内には有名な「かんがえ地蔵」があり、8月には極楽寺のある五月田集落の主催で踊りや花火大会があるそうです。県道から車で寺に直接行ったので「かんがえ地蔵」に気がつきませんでしたが麓にあります。



赤猪岩神社(大国主の蘇生伝説の地)

●赤猪岩神社
住所:鳥取県西伯郡南部町寺内232(字 久清)
駐車場:あり

 祭神は大穴牟遅命(大国主命)など。美人の八上比売が大国主を選んだことに嫉妬した兄弟達は大国主を手間山の麓に連れて行き「山に赤い猪がいるから我々が追い落とす。それを下で捕まえろ。出来なければ殺す」と脅した。
 兄弟達は猪に似た形の岩を焼き真っ赤にして落とし、それを受け止めた大国主は焼け死んでしまう。嘆き悲しんだ大国主の母・刺国若比売が神産巣日に訴えたところ、神産巣日は二人の神を使わした。二神は貝殻で大国主の体を岩から剥がして貝殻を削った粉を清水で練って塗ると大国主が生き返ったという。
 上記の神話から蘇生・再生・復興の御利益がある神社として知られる。大正6(1917)年に久清神社を当地に遷し、大正11(1922)年に手間山(手間要害山)にあった赤猪神社も当地に移して合祀し赤猪岩神社と改称した。

(鳥居)
鳥居

鳥居

(拝殿)
拝殿

(大国主大神御遭難地の碑)
大国主大神御遭難地の碑

(本殿)
本殿

(末社? 何を祀っているのか不明)
末社

(大国主命が抱いて落命した大岩と伝わる)
大岩

(手間山の山頂にある赤猪神社の鳥居の跡)
赤猪神社の鳥居

参考文献:鳥取県の地名、現地の案内板、南部町役場、鳥取県神社誌

感想:大きな神社ではないですが駐車場も広く人気のある神社です。



赤崎台場跡(鳥取藩の築いた台場の一つ)

●赤崎台場跡
住所:鳥取県東伯郡琴浦町赤碕(字 ヲナガケ)
駐車場:不明

 国指定史跡。文久3(1863)年、大阪の天保山砲台を警固していた鳥取藩士が英国船を砲撃。報復を恐れた鳥取藩は菊港や藩倉の防備のため、武信佐五右衛門(のちに佐伯友光と交代)を責任者に任命して築造した。当時の鳥取藩は財政難だったため大庄屋の河本家や地元の農民の協力で築かれている。鉄砲十二斤砲一門、御銘入鉄造五寸径砲一門、鉄砲三斤砲一門が配備され34名が警備に当たったが実戦を経験しないまま役目を終えた。
 長い間良好な状態で残っていたが、昭和33(1958)年から始まった国道9号の工事の残土で埋め立てられる。他の鳥取藩の台場と違い半円形だったことが分かっている。

(台場全景。この下に今も良好な状態で埋まっている)
赤崎台場

赤崎台場

赤崎台場

赤崎台場

(日本海)
日本海

参考文献:現地の案内板、とっとり文化財ナビ琴浦町公式サイト、日本城郭大系 第14巻、赤碕町郷土誌

感想:台場の名前は赤”崎”で地名は赤”碕”だそうです。花見潟墓地も近く、たまに散歩に来ています。