「観音寺城を探検する2012」に参加してきた

 2013年3月20日(水)、滋賀県教育委員会主催の「観音寺城を探検する2012」に参加した。当日はの予報は曇りのち雨。天候が心配…。

 東近江市の「ぷらざ三方よし」に集合すると出発。西側の結神社から観音寺城に向かった。

(結神社)

 ここからは約1キロの登山。なかなかハードだった。

(中間地点の展望台からの風景。参加者が「晴れていたらなあ…」と口にしていた。同感)

 城内に建つ観音正寺の入り口に着くと、参加者100人が一度に廻る訳にはいかないので着いた順番で3班に分けられた。私は2班。観音寺城の歴史を聞いた後、遺構を廻る。最初は伝・布施淡路丸。

(伝・布施淡路丸。三方を石垣で囲っている)

 その後、城の北東の大土塁の上を通って伝・馬淵丸や伝・三国丸を廻る。ここに大土塁があったのは湖北を支配していた京極氏に備えるためだったらしい。

(伝・三国丸の石垣)

 ここから急勾配の道を下り観音正寺に向かった。

(観音正寺の新旧石垣)

 観音正寺に着くと昼食。みんな境内に座って食事をした。幸い雨が降らなかったので屋外で食べられたが、降っていたら参加者をどこで食事させるつもりだったのだろうか。

(この辺りにみんな座って食事。写真は2009年のもの)

 休憩が終わると本丸に向かう。この辺りから雨がぽつぽつ降って来た。城趾が私有地だった頃は雑木林だったらしいが、行政が買い取ってから整備されたらしい。

(本丸)

 大石段を下って伝・平井丸と伝・池田丸を経由し女郎岩に出る。この途中で南側に安土城のような直線に下る道があった可能性があるようなことを聞いた(確か…)。
 この頃になると雨が激しくなってきて1班が見学している間待つのが辛くなってきた。

(女郎岩)

 女郎岩から一人分の幅くらいしかない道を通って大石垣を見学。

(大石垣)

 ここから観音正寺に戻る…のだが、道が狭いため3班とぶつかって大渋滞。なんとかすれ違い観音正寺を通過して登山道近くにある目賀田丸を見学して解散した。
 下りは雨と疲れで暗いみんなに雰囲気が漂っていた。しかも雨で石段などで滑る人が多数。とにかく無事に結神社に着くと駐車場に行き愛知県に戻った。

感想:個々の郭の説明はあったが城全体については良く分からなかったため、案内していただいた方に「郭の役割などについて教えて欲しいんですが…」と聞いたら「良く分かっていないんですよねえ」との答えが返ってきた。
 そういう説明が聞きたかったんだけどなあ…。


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長命寺(近江八幡市)

住所:滋賀県近江八幡市長命寺町157

 西国三十三所観音霊場・第三十一番札所。長命寺山(標高333メートル)の8合目(標高250メートル)に建つ。聖徳太子の創建で、836年に頼智が再興している。近江守護・佐々木定綱が戦死した父・秀義を弔うため本堂などを建立したが1516年の兵火で焼失。現在の伽藍はその後に再建されたものである。

(駐車場にある碑。麓から808段ある石段を登ってくるのが正規のルートだが、真夏にそんな元気はなかったので車で登ってきた。いや、真夏以外でも車で来たと思うけど・・・)

(山門)

(1606年に再建された護摩堂)

(1593年前後に再建されたという三重塔。最初、1320年に建てられた際に六角時信が馬を寄進している)

(三仏堂)

(太郎坊権現祠の拝殿。当山にいた善門坊が仏法護持のため魔王の形を現した。そこで祠を建てて太郎坊権現を勧請したという。伽藍も良いが、この辺りにある巨石も一見の価値有り)

(太郎坊権現祠から長命寺港を望む)

(勝運将軍地蔵尊などを祀る如法行堂)

(鐘楼)

(1524年に再建された本堂。国の重要文化財に指定されている。ちなみに護摩堂や三重塔、鐘楼も重要文化財)

感想:公共交通機関だと行くのが大変ですが、時間をかけてでも行く価値がある寺だと思います。




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大島・奥津島神社

住所:滋賀県近江八幡市北津田町529

 祭神は大国主命と奥津嶋比売命。昔、奥津島神社の祭神は航海安全の神・宗像神(奥津嶋比売命も含まれている)で、周辺の水運や漁業に関わる人々の守り神だったと伝わる。1585年に豊臣秀次が近江八幡城の城下町整備の一環として八幡堀を開削した際、祭祀が再編成され近くに建っていた大島神社が合祀されている。
 社宝には惣形成の史料として知られる大島・奥津島神社文書や平安時代に作られた木像の大国主命像がある。

(鳥居)

(拝殿)




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