義仲寺(木曽義仲・松尾芭蕉の墓)

住所:滋賀県大津市馬場1丁目5-12

 1184年、木曽義仲の戦死後に側室・巴御前が当地に義仲を埋葬したことが始まりだと伝わる。室町時代末期に南近江の守護・六角氏が当寺を再建した。江戸時代中期までは義仲の墓と伝わる塚があるだけの小さな寺だったが、義仲を敬愛した松尾芭蕉が度々訪れ遺言により当寺に葬られたことから興隆する。その後、再び荒廃するが1769年には蝶夢が復旧に努めている。
 その後、火災や洪水など度々の苦難を乗り越えたが、太平洋戦争後に荒廃の極みに達する。そこで東京の一個人の篤志により1965年に再建され、1985年に現在の形となった。現在は境内全体が国の指定史跡となっている。

(山門)

(義仲・義高父子の木像が安置されている朝日堂)

(木曽義仲の墓)

(巴御前の供養塚・巴塚)

(松尾芭蕉の墓)

(芭蕉の像などを安置されている翁堂)

(木曽八幡宮)

感想:境内は広くはないですが墓や塚、御堂などが数多くあり見応えのあるお寺でした。


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和田神社(石田三成所縁のイチョウ)

住所:滋賀県大津市木下町7-13

 祭神・タカオカミノカミ。664年に創建された。以前は大龍王社や正霊天王社と呼ばれていたが、明治時代に当社のある琵琶湖岸が和田浜と呼ばれていたことから現在の名前になる。

(鳥居)

(拝殿)

(国指定重要文化財の本殿)

(本殿その2。一間社流造で屋根には檜皮葺き、正面には軒唐破風が付いている)

(天満宮)

(高さ24メートルのイチョウ。関ヶ原の戦いで敗れた石田三成が京都に護送される途中、ここで休憩した際に繋がれていたと伝わる。また琵琶湖から和田浜の目印になっていたという)

感想:駐車場が無くて苦労しました。本殿は小さいながらも歴史を感じさせるものでした。


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建部大社(源頼朝所縁の神社)

住所:滋賀県大津市神領1-16-1

 祭神・日本武尊。近江一宮。316年、近江国神崎郡建部郷で日本武尊を祀ったのが始まりと伝わる。675年、現在地に移された。武運の神として武家の崇敬を受け、1160年に前年の平治の乱で敗れた源頼朝が伊豆に配流される際、当社で源氏の再興を祈願したところ成就したため、1190年に上洛すると神領を寄進している。その後、何度も兵火で焼失したが再建され、江戸時代には膳所藩主の崇敬を受けた。
 1977年、建部神社から建部大社に改称する。

(一の鳥居)

(殺人的な暑さを抑えるための企画されていたクールサマー祈祷)

(二の鳥居)

(神門)

(茅の輪)

(御神木の三本杉)

(拝殿)

(見えづらいが権殿(社殿を造営・修復する際、神体を臨時に奉安する殿舎。仮殿)と本殿)

(右が権殿、左が本殿)

(1945年8月に日本武尊と当社が描かれた千円札について解説してあった。時期的に武運の神ということで選ばれたのでしょう)

(えんむすびの神・大野神社)

感想:ここに安置されている女神像は元旦のみ公開されています。


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